「過分な期待」って年金記録問題を2008年3月までに解決するかのような公約を唱えたことについて、福田首相が陳謝したというニュースを受けての書き込みです。『毎日新聞』2008.04.08によれば、その発言は以下の通りです。
日本語の使い方が間違っているんじゃないか。/我々が年金問題の解決を期待することは「過分」なのか。/要するに、そんなことを国民が期待するのは/「分不相応」と言いたいのか。単に国語能力の低さを/露呈しただけならともかく、ここには政治家の本音が/ハッキリと見える。実に不快だ。思い上がるな!!(投稿日時:2008年4月8日 9時35分)
福田康夫首相 昨夏、「(今年)3月までに年金記録問題を全面的に解決する」という誤解を与える表現、説明もあったと思う。誤解を与えた、過分な期待を持たせたという意味でおわびしないといけない。私は、このニュースを読み流してしまい、「過分な」には引っかかりませんでした。しかし、『三省堂国語辞典』第6版では、「過分」は〈地位・能力・労力に相当した程度を こえること。〔けんそんして、自分には すぎた、という意味で使われることが多い〕「―な おことば・―の謝礼」〉〈〔昔、殿様(トノサマ)などが〕ありがたいと思うときに言った ことば。「―に思うぞ」〉とあります。「過分な期待」は、たしかに、〈そんなことを国民が期待するのは「分不相応」〉というニュアンスが入ってしまいます。この書き込みの主は語感が鋭い、私はぼんやりしていた、と思いました。
報道では、この「過分」を聞きとがめるものはまだ目にしていません。記者が頭の中で「過度の」に訂正したのかもしれません。しかし、たとえ言い誤りにしても、たしかに失礼になるのは事実なので、囲み記事ででも指摘してはどうでしょう。
福田首相の発言といえば、私が気づいたのは、4月9日の党首討論で、国会運営について述べたことばです。
〔福田康夫首相〕〔ねじれ国会の運営を、民主党の〕だれとお話をすればですね、信用できるのか。そのこともですね、ひとつぜひお示し、教えていただきたい。たいへん苦労してるんですよ。かわいそうなくらい苦労してるんですよ。(NHK「ニュース7」2008.04.09)この「かわいそう」の主体が分かりません。首相自身でしょうか。
ふつう、「かわいそう」は他人について使うことばです。『三省堂国語辞典』からまた引けば、〈気の毒に思って、何かしてやりたくなる・ようす(気持ち)。あわれ。〉ということになります。これを自分自身に使って、「ぼくはかわいそう」などと言うと、なんだか自己陶酔的な、情けない感じがします。首相のことばとも思えません。「自分をかわいそうとは何ごと」などという批判記事が出てもいいところです。
これが、たとえば、国対委員長かだれかを指してでもいるのであれば、「彼ははたで見ていてかわいそうなくらいだ」という意味になり、思いやりのある首相という感じが出ます。でも、そういうわけでもないようです。
首相として毎日いろいろなところで発言していれば、この程度の言い損ないはあって当然なのか。それとも、政権が危険水域(これは『三省堂国語辞典』第6版で載ったことば)に入ったため、発言が荒れているのか。それは私には分かりません。