2006年03月16日

テレビジョン

なおも江戸川乱歩作品からことばを取り上げます。

「テレビジョン」ということばが「幼年クラブ」1949.01に載っていることについては「丁寧体の中の「が」」という文章の中で触れました。戦後、まだ4年しかたっていない時期のものです。以下に、実際の文章を示します。
 もし、もし。みなさんが電話をかけたとき、おはなしする なかよしのかおが見られたら、どんなにいいでしょう。うれしいでしょう。
 そのかんがえが、テレビジョンのけんきゅう、はつめいになったのです。イギリスにはじまつて 世界にひろがって、たくさんの学者のちえが あつめられて できあがったテレビジョン。(p.40「テレビジョンをけんがくして」)
テレビ(ジョン)の発明は、じつはそれよりずっと早いので、用例としても、上記より早いものがあります。小学館の「日国.NET」のサイトでは、末広鉄男氏が竹内時男『百万人の科学』(1939年)から「セロファン、ス・フ、ラヂオ、テレヴィ、私共の周囲はすべて科学である。」という用例を報告しています(そのページ

江戸川乱歩の『猟奇の果』(1930年発表)にも、「テレビジョン」が載っています。今、春陽堂文庫版(春陽文庫 1987年初版 2004年14刷)によって本文を示します。
飛行機ばかりではありません。ラジオでもテレビジョンでも、昔のユートピア作者たちがそれを描いたときには、いつもいつも大笑いでした。(p.204)
高柳健次郎が「イ」の字をブラウン管に映し出すことに成功したのが1926年とのことなので(NHK放送技術研究所)、当時の専門書を探せば「テレビジョン」の用例はいくらでもありそうです。しかし、江戸川乱歩が推理小説で、すでに「テレビジョン」を使っているのには驚きました。

上の文章中、「テレビジョン」の前に「飛行機」ということばが出て来ていますが、これはそれほどめずらしくないかもしれません。明治の昭憲皇太后の和歌にも、「たくみなるわざの開けて神ならぬ人も天とぶ世となりにけり」という飛行機を詠んだものがありますし、石川啄木の詩にも、「見よ、今日も、かの蒼空に 飛行機の高く飛べるを」と出て来ます。

ただ、飛行機の一般でのなじみ度は、今ほどではなかったでしょう。この作品では、東京と京都に同一人物が同じ日に存在したことについて、主人公の一人が「なぜだろう」と考えます。そして、「もしかしたら飛行機では」と思いつくまでにずいぶん時間がかかります(結局、その推理は間違っていたのですが)。飛行機というものが、ふだんは意識されないものだったからでしょう。
飛行機……ああ、飛行機というものがある。しかし、たとい旅客飛行機を利用したとしても、帝国ホテルから立川まで、大阪築港から京都四条までの道のりを考えると、とても同じ日に同一人物が京都に現われる可能性はない。
立川が東京の飛行場、大阪築港が大阪の飛行場だったのでしょうね。

なお、乱歩の作品よりずっと後に、飛行機を重要な道具として使った推理小説が現れます。その話を読んだことがある人は、上の引用部分を読んで「おっ?」と思うのではないでしょうか。種をばらすことになるので、これ以上は述べることは控えます。

この『猟奇の果』、まだまだおもしろいことばがあるのですが、今回はこのへんで。
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2006年03月15日

『パノラマ島奇談』から

今回もまた、江戸川乱歩の作品からことばを拾ってみます。べつにマンネリになったわけではありません。ときどきは、だれか1人の作家を集中的に取り上げてみるのもいいのではないでしょうか。

『パノラマ島奇談 他六編』(春陽文庫 1987年初版 2004年24刷)をめくってみます。もっとも、タイトルになっているこの作品、本によっては「パノラマ島奇譚」「パノラマ島綺譚」になっています。

早稲田大学図書館のデータベースで検索すると、「奇談」とするものは4種あります。1927年の『現代大衆文学全集 第3巻 江戸川乱歩集』(平凡社)、1961年の『江戸川乱歩全集 1』(桃源社)、1972年の『現代推理小説大系 1 江戸川乱歩』(講談社)、1978年の『江戸川乱歩全集 第3巻』(講談社)。

次に、「奇譚」とするものは1種です。1955年の『江戸川乱歩全集 第1巻』(春陽堂)がそうです。

さらに、「綺譚」は2種あります。1973年の『大衆文学大系 21』(講談社)、1992年の『日本幻想文学集成 14』(国書刊行会)です。

タイトルがこうであれば、内容もおそらく諸本によってばらばらでしょう。慎重を期するならば、初出の雑誌に当たるべきです。それだって誤植があるかもしれません。まして、今の春陽堂文庫によって考えるだけでは問題がありますが、ここは、まずメモのためということで目をつぶっていただきましょう。

例によって、この本にも、ふつうは目にしない言い方、誤りではないかと思われる言い方があります。
相好を崩す
寝返りを打って、細目を開いてみますと、男たちは健康らしく大の字になって、相好をくずして、よく寝入っているのです。(「パノラマ島奇談」〔1927年発表〕p.25)
「相好を崩す」は、『大辞林』第2版によれば、「それまでの表情を変えてにこにこする」とあります。私もそう思います。手近の2、3の辞書を見ても同様の記述です。

この場面では、べつに、男たちが寝ながらにこやかに笑っているのではありません。「相好」は「顔かたち、表情」ということなので、まあ「だらしなく表情を崩して」という程度の意味で使っているのでしょう。
わくわく
〔上略〕門から外へはよう出ずに、あまりの珍事に、むしろ転倒してしまって、歯の根も合わずワクワクしながら、門内の広い敷石道を、やっぱり青くなった小間使いたちといっしょにウロウロと歩きまわっていたのですが、(「パノラマ島奇談」p.46)
「転倒してしまって」は「動顛してしまって」ということです。次の「ワクワク」は、今であれば、何かいいことを楽しみにしている様子を表すことばですが、ここでは「びくびく」とか「どきどき」とか、要するに怖がっている描写です。

うれしいわけでもないのに「わくわく」を使う例は、夏目漱石の作品などにも見られます。たとえば、『それから』の主人公・代助は、三千代が病気であることを書生の門野から聞かされた後に、「凝としていながら、胸がわくわくした」(新潮文庫 1980.05.15 65刷 p.260)とあります。
なぜなれば
〔上略〕彼女としては、そんな物質上のことがらよりは、ただもう、彼女から離れてしまった夫の愛情を、どうすれば取りもどすことができるか、なぜなれば、あのできごとを境にして、それまであれほどはげしかった夫の愛情が、突然、人が変わったようにさめきってしまったのであろう、と、それのみを、夜となく昼となく、思い続けるのでありました。(「パノラマ島奇談」p.55)
「なぜなれば」「なぜならば」は、ふつうは「なぜかというと」「どうしてかと言うと」ということで、下に理由を表します。ところが、ここでは「なにゆえに」「なぜ」「どうして」ということで、下に疑問の原因となる事実を述べます。

疑問の原因を表す言い方に、古いことばで「いかなれば」というのがあります。「いかなれば、かかるならむ」は「どうして、こうなのでしょう」ということです。この「〜なれば」という言い方を、乱歩は現代の文章にそのまま持ち込んだのでしょう。
なやましい
そして、不思議なことには、どこを見回しても、あの森などは影も形も見えないのでした。
「まあ、あたしはどうかしたのでしょうか」
 千代子は悩ましげにこめかみをおさえて、救いを求めるように広介を見かえりました。
「いいえ、おまえの頭のせいではないのだよ。この島の旅人は、いつでも、こんなふうに、一つの世界から別の世界へと踏み込むのだ。(「パノラマ島奇談」p.85)
幻想的な景色を目にした女性が、自分の頭がどうかしたのではないかと思って「悩ましげ」であったというのです。ここでの「なやましい」は、官能的な様子を表しているのではありません。気分が悪く、頭痛がするというような意味です。

「なやましい」の意味として「頭を悩ませる」という意味は最近出て来たのではなく、ずいぶん前からあった、という話は、「近現代の「なやましい」」に書きました。乱歩のこの使用例も、このことを補強しています。

ただし、乱歩は一方では、「官能的な」という意味でも「なやましい」を使っています。たとえば、
〔上略〕それはある真夜中のことでしたが、広介が悩ましい悪夢にうなされてふと目を開きますと、悪夢のぬしは、次の間に寝ていたのが、いつ、かれのへやへはいってきたのか、なまめかしき寝乱れ髪をかれの胸にのせて、つつましやかなすすり泣きを続けているのでありました。(「パノラマ島奇談」p.47)
などというのは、どうも「官能的な」と考えてよさそうです。後のほうに「なまめかしき寝乱れ髪」という語句が出てくるからです。
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2006年03月08日

きれいな若者

今回も江戸川乱歩の作品のことばを取り上げます。『人間椅子 他九編』(春陽文庫 1987年新装版 1996年22刷 p.156)に所収の作品を見てみましょう。

まず、「きれい」ということば。これは、以前、「「かっこいい」の出世」の中で取り上げました。文部省唱歌「兵隊さん」に「兵隊さんは きれいだな」という歌詞がありますが、これは今でいえば「かっこいい」に当たります。昔は「かっこいい」がなかったため、男の容姿を「きれいだ」と形容することがあったと述べました。

乱歩の作品を見てみると、男を「きれいだ」と形容している例がいくつか見つかります。
もし、彼が以前のように冷静であったなら、その若者の、顔はきれいだが、いやに落ちつきのない目の光だとか、異様にそわそわした様子だとか、それからまた、見物の群衆にまじって、若者のほうを意味ありげににらんでいる顔なじみの刑事などに気づいたでもあろうけれど、(「木馬は回る」〔1926年発表〕p.141)

それを見ると、格二郎はまたしても未練がましく、そうなると、やっぱりむじゃきに見える彼女の様子がいとしくて、あのきれいな若者と競争しをして、打ち勝つ自信などは毛頭ないのだけれど、(同 p.142)

 でも、あの人がわたしの夫になるかたかと思いますと、狭い町のことで、それに先方も相当の家柄なものですから、顔ぐらいは見知っていましたけれど、うわさによれば、なんとなく気むずかしいかたのようだがとか、あんなきれいなかたのことだから、ええ、ご承知かもしれませんが、門野というのは、それはそれはすごいような美男子で、(「人でなしの恋」〔1926年発表〕p.178-179)
と、このように、美男子、かっこいい男のことを「きれいな若者」とか「きれいなかた」とか表現しています。女を形容するときと同じだったのが、歴史的変遷によって、今では、女は「きれいだ」、男は「かっこいい」と区別されるようになっています。

このほか、おもしろいと思ったことばを書きつけておきます。
いったいなら
このイスは、同じY市で外人の経営しているあるホテルへ納める品で、いったいなら、その本国から取り寄せるはずのを、わたしの雇われていた商館が運動して、日本にも舶来品に劣らぬイス職人がいるからというので、やっと注文をとったものでした。(「人間椅子」〔1925年発表〕p.8)
「いったいなら」というのは、「もともとなら」ということです。「もともと」の意味で「いったい」を使うのは、たとえば夏目漱石「坊っちゃん」に「一体生徒が全然悪るいです」などと出て来ます。でも、「いったいなら」と「なら」をつける言い方はめずらしいのではないでしょうか。
おんもりと
〔上略〕そっと背中をささえてくれる豊満なもたれ、デリケートな曲線を描いて、オンモリとふくれ上がった両側のひじ掛け、それらのすべてが、不思議な調和を保って、(「人間椅子」〔1925年発表〕p.8)
「おんもりと」は「こんもりと」ということで、奈良県の方言にあるそうです。しかし、全国的に読まれる文章の中に使われている例があるかどうかは知りません。
ぎょくんと
見ると、そこには、相手の奥村一郎所有の小型ピストルが光っていた。「おれが殺したんだ」ギョクンと、のどがつかえたような気がした。(「灰神楽」〔1926年発表〕p.106)
これも耳慣れないオノマトペです。「ぎくんと」と「ごくんと」とが合わさったような感じでしょうか。辞書にはありません。ほかに使用例があるのでしょうか。

最後に、当時の風俗を感じさせる例をひとつ。
何番、何番
 平田氏はかんしゃくを起こしてこうどなりつけると、その声はだんだん小さくなって、ウ、ウ、ウ……と、すうっと遠くのほうへ消えていった。そして、「ナンバン、ナンバン、ナンバン」という電話交換手のかん高い声がそれに代わった。(「幽霊」〔1925年発表〕p.163)
「ナンバン、ナンバン」は「何番、何番」で、電話交換手が「何番につなぎますか」と聞いているのです。それならば、そのようにていねいに言えばいいと思うのに、「何番、何番」とだけぶっきらぼうに言っていたのですね。こういう言い方は、いつごろから始まって、いつごろまで続いたのでしょうか。
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2006年03月07日

『D坂の殺人事件』から

今回は、江戸川乱歩『D坂の殺人事件 他六編』(春陽文庫 1987年新装1刷 1998年19刷)から、いくつかおもしろいことばを取り上げて記します。

乱歩の小説には、江戸時代の文学などに見える、古い言い回しがよく出て来ます。そこで、きっと出身地は東京なのではないかと思いましたが、そうではなく、三重県でした。当時使われていたことばを、乱歩も使っていたにすぎないのか、それとも、わざと、使われることがまれなことばを使っていたのでしょうか。
かたみがわり
ホールのまん中で、かれらはかたみがわりに、おそろしいことばをどなり合ったが、やがて、道化のほうがバッタリ床の上に倒れると、黒人はその上におどりかかった。(「D坂の殺人事件」〔1925年発表〕p.99)
「かたみがわり」は「互いに」ということです。「契りきな かたみに袖を しぼりつつ……」という百人一首の歌がありますが、あの「かたみ」です。『日本国語大辞典』第2版によれば、すでに「武道伝来記」(1687)に出ている古いことばです。
苦しみを苦しむ
 あいつはきょうから、一日の休む暇もなく、一生涯{いっしょうがい}、長い長い一生涯、あの取り返しのつかぬ苦しみを苦しみ抜くんだ。あのどうにもしようのないもだえを、もだえ通すのだ。(「恐ろしき錯誤」〔1923年発表〕p.135)
「苦しみを苦しむ」「もだえをもだえる」というのは、いわゆる「同族目的語」です。つまり、「苦しむ」の派生語(同族)である「苦しみ」を目的語に使って、「苦しみを苦しむ」というややこしい言い方をしています。日本語には古来、「歌を歌う」などという言い方がありますが、ここで乱歩が使っている構文は、欧文脈の影響を受けたものでしょう。
飽きずまに
 北川氏は鼻の頭にいっぱい汗の玉をためて、炎天の下を飽きずまに歩き続けていた。(「恐ろしき錯誤」〔1923年発表〕p.136)
これも同じ作品からです。「飽きずまに」は、『日本国語大辞典』には載っておらず、「飽きる」の項目にも、もちろん「飽く」の項目にもありません。不思議なことばです。

「懲(こ)りずまに」ということばであれば、古典にあります。「懲りもせず」ということです。その要領で行けば、「飽きずまに」は「飽きもせず」ということで、意味は分かります。乱歩の作ったことばでしょうか。今のところは、正体不明です。
とから
 北川氏は北川氏で、その野本氏の気まずさが反映して、かれの家の敷居をまたぐとから、もう吐きけを催すほどに不快を感じていた。(「恐ろしき錯誤」〔1923年発表〕p.136)
これも耳慣れないことばですが、「またぐとから」は「またぐやいなや」というような意味です。滑稽本「七偏人」(1857-63)五・下には「子どもが腹へ孕るとから半病人に成てしまひ」とあるそうです。乱歩のこの作品と同時代である寺田寅彦の文章が、『日本国語大辞典』には載っています。

最後に、これも江戸時代から使われていることばを記しておきましょう。
とど
よろしく一問一答をくりかえしたのち、とど、細君がゆうべの一部始終を打ち明けてしまうところまでこぎつけた。(「一人二役」〔1925年発表〕p.109-110)
「とどのつまり」の略。夏目漱石も使っている語法です。

乱歩作品を読むときには、事件のなぞを推理する楽しみとは別に、こういった奇妙なことばの意味や由来を調べる楽しみもあります。
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2006年02月14日

「膝栗毛」の古い言い回し

私は、本に書き込みをした場合、読み終わったらその書き込みをパソコンに入力して活用しようと心がけています。心がけるのはいいけれども、心にかけるだけで入力をサボる場合がしばしばあります。

岩波文庫の『東海道中膝栗毛』を読んでから、もう10年近く経ちます。読んだときにページに記した書き込みが200か所以上はあるはずですが、読了後、ずっとほったらかしでした。ようやく、今日、思い立って、上下巻のうち上巻の書き込みだけをパソコンのデータに転記しました。

これを眺めていると、いろいろと気づくことがあります。「膝栗毛」は、今の人が読んでもそれほど難しくない作品です。しかし、ずいぶん古い言い回しも出て来ます。たとえば、浜名湖畔にある新居宿の情景。
げにも来往{らいわう}の貴賤{きせん}絶間{たへま}なく、舟場{ふなば}へ急{いそ}ぐ旅{たび}人は、足{あし}もそらに出ふねをよばふ声{こへ}につれてはしり、(四編上〔1805 文化2年〕岩波文庫 p.257-258)
新居から対岸の舞阪に渡る舟に遅れまいと、旅人が夢中で走る様子を「足もそらに」と形容しています。足が空に浮くほど慌てるということです。

「足も(を)そらに」は、古代の文章に見えることばです。『日本国語大辞典』には、「落窪物語」「紫式部日記」「源氏物語」などの例が挙がっていて、一番新しい例でも「徒然草」(14世紀)のものです。「膝栗毛」はずっとあとの作品ですが、こういった古い表現を取り入れて使ったのでしょう。

また、「言はねど著(しる)し」(口には出さなくても明白である)という言い方が出て来ます。
名物はいはねどしるきこはめしやこれ重筥{ぢうばこ}のふた川の宿{しゆく}(四編上〔1805 文化2年〕岩波文庫 p.266)
これは、三河国・二川の宿で弥次郎兵衛が詠んだ狂歌です。「ここの名物は改めて言うまでもなく名高い強飯屋」だというのです。

この「言はねど著し」は、『日本国語大辞典』にも載っていないことばですが、熟した言い回しだと考えていいでしょう。古典の文章を調べてみると、
自{おのづ}から言{い}はねど、著{しる}く見え給ふらんとなむ思ふ(宇津保物語〔10世紀〕)

照る月波も、曇りなき池の鏡に、いはねどしるき秋のもなかは(増鏡〔14世紀〕)
などと出て来ます。ただし、「宇津保物語」の例は、本文に疑問もあります。

「膝栗毛」とほぼ同時代の作品にも「言はねど著し」は出て来ます。
云(ハ)ねどしるき其人品{じんびん}(神霊矢口渡〔1770初演の浄瑠璃〕)

いはねどしるき部屋{へや}がた風俗{ふうぞく}(浮世風呂〔1809-13刊〕)
といった具合。当時も、よく使われた表現だったのかもしれません。

古い言い回しというのとはちょっと違いますが、「膝栗毛」に出てくる方言が、古代の形をよく伝えている場合も多くあります。方言というのは、もともとそういうものですが。たとえば、「けけれ」(心)などという、「万葉集」に出てくる古いことばが使われています。
あにもがいにけゝれ{心}なく、雑言{ざうごん}ノウしめさるこたアござんないヤア(三編上〔1804 文化元年〕岩波文庫 p.195-196)
これは藤枝の宿(駿河国西部)で田舎のおやじが言うせりふです。「何もそのようにひどく心なく、暴言を使われることはないですよ」ということでしょう。『日本方言大辞典』(小学館)には、「けけれ」という語は載っていないので、今ではこの地方を含めて使われなくなったことばなのでしょう。

また、「たに」(ために)ということばも「万葉集」時代のことばですが、「膝栗毛」に出て来ます。
たんとのんでくれさつしやい。そんたアわしがたにやア命の親{おや}だ(三編上〔1804 文化元年〕岩波文庫 p.199)
「あなたは私のためには(私にとっては)恩人だ」というのです。この「たに」は、『日本方言大辞典』には和歌山県の例しか載っていません。今では勢力が縮小したと見えます。
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2005年12月30日

「草枕」のことばから

夏目漱石の文学は、電子テキストにもなっていて、だれもが自由にそのことばを検索できます。でも、あらかじめ調べたいことばが決まっているならともかく、どういう珍しいことばがあるかということについては、やはり実際にページを繰ってみないと分かりません。

今回は、「草枕」を読んで気づいたことばのうちから、いくつかを取り出して記してみます。(ページ数は新潮文庫 1980.07.10 70刷による)。
とぞ知れ
「前を見ては、後{しり}えを見ては、物欲しと、あこがるるかなわれ。腹からの、笑といえど、苦しみの、そこにあるべし。うつくしき、極みの歌に、悲しさの、極みの想{おもい}、籠{こも}るとぞ知れ」(p.8-9)
これはシェレー(シェリー)の詩「雲雀に寄せて」を漱石が和訳したものです。係り結びの規則からすれば「籠るとぞ知る」か「籠るとこそ知れ」となるべきところ。漱石は漢詩には詳しかったけれども、古文にはあまり関心がなかったことを物語る例といえます。
さっぱし
何ですかい、やっぱりあの御嬢さんが、御愛想{あいそ}に出てきますかい。どうもさっぱし、見境{みさけえ}のねえ女だから困っちまわあ」(p.56)
江戸っ子の床屋のせりふです。岩波版の全集で見ると「さっぱし」は「薩ぱし」とあて字が使われています。この床屋は、別の箇所では「こうやると誰でもさっぱり〔薩張り〕するからね」と「さっぱり」の形を使っています。「まったく」の意味では「さっぱし」、「不快感がなくなる」の意味では「さっぱり」と使い分けたのでしょうか。

「〜り」を「〜し」と言う語法が「中部地方・近畿地方など各地で、かなり使われている」と井上史雄著『日本語ウォッチング』(岩波新書)に記されていることについては、以前「はっきし言って」という文章で触れました。東京のことばとしても少なからず勢力があったのでしょう。

なお、この床屋は「かったるい」の訛り「けったるい」(「そんなに倦怠{けったる}うがすかい」p.56)という語も使っています。
古来から
古来からこの難事業に全然の績{いさおし}を収め得たる画工があるかないか知らぬ。(p.67)
「古来」は「古くから」という意味だから、「古来から」は重言だ、とよく言われます。漱石も使っているとは知りませんでした。どれくらいさかのぼれる言い方でしょうか。

今回はこのあたりまでにしておきましょう。
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