「テレビジョン」ということばが「幼年クラブ」1949.01に載っていることについては「丁寧体の中の「が」」という文章の中で触れました。戦後、まだ4年しかたっていない時期のものです。以下に、実際の文章を示します。
もし、もし。みなさんが電話をかけたとき、おはなしする なかよしのかおが見られたら、どんなにいいでしょう。うれしいでしょう。テレビ(ジョン)の発明は、じつはそれよりずっと早いので、用例としても、上記より早いものがあります。小学館の「日国.NET」のサイトでは、末広鉄男氏が竹内時男『百万人の科学』(1939年)から「セロファン、ス・フ、ラヂオ、テレヴィ、私共の周囲はすべて科学である。」という用例を報告しています(そのページ)
そのかんがえが、テレビジョンのけんきゅう、はつめいになったのです。イギリスにはじまつて 世界にひろがって、たくさんの学者のちえが あつめられて できあがったテレビジョン。(p.40「テレビジョンをけんがくして」)
江戸川乱歩の『猟奇の果』(1930年発表)にも、「テレビジョン」が載っています。今、春陽堂文庫版(春陽文庫 1987年初版 2004年14刷)によって本文を示します。
飛行機ばかりではありません。ラジオでもテレビジョンでも、昔のユートピア作者たちがそれを描いたときには、いつもいつも大笑いでした。(p.204)高柳健次郎が「イ」の字をブラウン管に映し出すことに成功したのが1926年とのことなので(NHK放送技術研究所)、当時の専門書を探せば「テレビジョン」の用例はいくらでもありそうです。しかし、江戸川乱歩が推理小説で、すでに「テレビジョン」を使っているのには驚きました。
上の文章中、「テレビジョン」の前に「飛行機」ということばが出て来ていますが、これはそれほどめずらしくないかもしれません。明治の昭憲皇太后の和歌にも、「たくみなるわざの開けて神ならぬ人も天とぶ世となりにけり」という飛行機を詠んだものがありますし、石川啄木の詩にも、「見よ、今日も、かの蒼空に 飛行機の高く飛べるを」と出て来ます。
ただ、飛行機の一般でのなじみ度は、今ほどではなかったでしょう。この作品では、東京と京都に同一人物が同じ日に存在したことについて、主人公の一人が「なぜだろう」と考えます。そして、「もしかしたら飛行機では」と思いつくまでにずいぶん時間がかかります(結局、その推理は間違っていたのですが)。飛行機というものが、ふだんは意識されないものだったからでしょう。
飛行機……ああ、飛行機というものがある。しかし、たとい旅客飛行機を利用したとしても、帝国ホテルから立川まで、大阪築港から京都四条までの道のりを考えると、とても同じ日に同一人物が京都に現われる可能性はない。立川が東京の飛行場、大阪築港が大阪の飛行場だったのでしょうね。
なお、乱歩の作品よりずっと後に、飛行機を重要な道具として使った推理小説が現れます。その話を読んだことがある人は、上の引用部分を読んで「おっ?」と思うのではないでしょうか。種をばらすことになるので、これ以上は述べることは控えます。
この『猟奇の果』、まだまだおもしろいことばがあるのですが、今回はこのへんで。