2006年01月27日

「わがまま」論2/なかない粉糖

ワガママごはん」の続きです。

「男が食べたいワガママごはん」を特集した「オレンジページ」2006.02.02を買って、「わがまま」ということばがどう使われているかを見てみました。結論からいえば、あまり詳しいことは分かりませんでした。このことばは、タイトルに使われているほかは、「〔料理について〕困ってしまうのが彼のわがままなリクエスト。」(p.18)とあるくらいです。わがままなリクエストに困るというのだから、この部分はまあ、私がふつうに使う、悪い意味の「わがまま」です。

はっきりと、いい意味の「わがまま」を使っている例が、もっとほかにあるはずだ、と思っていたら、その名も「わがまま肌衣{はだごろも}」(felissimo 2006 Spring & Summer)というカタログ雑誌の存在を知りました。表紙に「わたしが着たい/みんなが欲しい/わがままから生まれる/「わがまま肌衣{はだごろも}」。」とあるとおりで、「わがまま」の用例の宝庫です。「あなた」に関して「わがまま」を使っている例もあります。
ひとりの女性の思いには、みんながキレイになるための大切なヒントが隠されている。あなたのわがままが、みんなのキレイをきっと花開かせてくれる。(p.6)
意味はよく分かります。「お客様が『個人的な意見で、ほかの人には当てはまらない』とお思いになるようなことでも、ご遠慮なくおっしゃってください」ということでしょう。客の側が「これはわがままかもしれませんが……」と言うのでなく、店の側から「どうぞ、わがままでけっこうですからおっしゃってください」と言っているところが、新味があります。

ただ、このカタログ雑誌を一通り見わたしてみましたが、「あなたのわがまま」という言い方はあっても、「わがままなあなた」という言い方は見つかりませんでした。「わがまま」を表題に据えたカタログ雑誌とはいえ、さすがに「あなたはわがままである」と直接的に言うことはためらったのでしょう。

いずれ、相手に対して、何のマイナスの意味も込めずに「あなたはわがままですね」と褒め、相手が「いえいえ、それほどでもありません」などと照れているような例も出て来るに違いないと予想します。それまで、しばらく「わがまま」の例を拾い続けてみるつもりです。

今回はもうひとつ話題を。

「なかない粉糖」という砂糖が、製菓材料などを販売する「有限会社クオカプランニング」から発売されています。袋に張られた紙を見ると、
水分の多いケーキやゼリーに振りかけても溶けにくい粉糖です。きめも細かく甘味にも優れています。ガトーショコラやシュークリームなどの仕上げにお使いください。
なかない=溶けないという意味です。
とあります。「なかない」は「泣かない」でしょう。

「泣く」にはいくつか意味がありますが、「溶ける」という意味は、多くの国語辞書には載っていません。「料理分野での一種の隠語か?」と思いながら『日本国語大辞典』を見ると、「方言」欄に、「塩や砂糖が溶ける。」として和歌山県・香川県の例が出ています。

クオカの本社は徳島県であり、東京都新宿・自由が丘のほか、香川県高松市などに店があります。すると、香川県あたりの方言と関係があるのかもしれません。
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2006年01月26日

「腑に落ちる」は腑に落ちる

井上ひさし氏の戯曲『雪やこんこん』(朝日新聞社 1987)を読んでいたら――読んでいたらといっても、もう20年も前の作品ですが、いろいろおもしろいことばがありました。その1つに「腑に落ちる」というのがあります。
和子 なるとも、ならないでか。ま、さっきのおっかさんのお考えが腑{ふ}に落ちたこともあり、また、これから年の瀬にかけてはなにかと物入りだから、(p.124)

和子 (頷いて)そう見当をつけたら、昨夜{ゆうべ}からのことが何も彼も腑に落ちました。(p.178)
私はこの作品を発表当時に読み、また、当時のこまつ座の舞台も見ましたが(余談、その時はこの作品の良さが分からなかった。今は分かります。もう一度舞台が見たい)、この「腑に落ちる」には注意を引かれませんでした。

今は注意を引かれます。というのも、「『腑に落ちる』は誤りだ、『腑に落ちない』としか言わない」という声をしばしば聞くようになったからです。ネットでも、そのような意見にしばしば出会います。「腑に落ちる」を可とする人でも、「最近はそうとも言うようになってきたようだ」というように、「最近」の言い方と考えている場合があります。

書物で言及しているのは、たとえば、読売新聞校閲部『日本語「日めくり」一日一語』(中公新書ラクレ 2003)です。p.166「ふに落ちない」に、「肯定の場合は、「心に落ちる」「胸に落ちる」を使う」とあります。また、野口恵子氏は、『かなり気がかりな日本語』(集英社新書 2004)p.99以下で、「「腑に落ちる」は腑に落ちない」として、「なぜ釈然としないのか」についての考えを記し、「この慣用句の肯定形を今後も使わないでいこうと改めて心に誓った次第である」とまとめています。

井上ひさし氏はことば選びに非常にうるさい作家の1人です。その人が「腑に落ちる」を使っているということは、少なくとも井上氏には違和感を生じないことばであるようです。

歴史的にはどうなのか。井上氏を含めて、最近使われるようになってきたのか。手元の用例を見てみると、決してそんなことはありません。

古いほうへ行く前に、確認のために、現代の使用例を2例ほど挙げておきます。
▼蓮實〔重彦〕先生の言葉がストンと腑に落ちる、なんて経験はこれが最初で最後かも。〔林操・見ずにすませるワイドショー143〕(「週刊新潮」2005.03.24 p.123)

「バンディアミール湖です」/ と通訳が言うが、これが湖とは、腑に落ちるまでいくらかの時間が必要だった。〔写真・文=大石芳野〕(「週刊朝日」2005.04.01 p.8)
このように普通に使われていることは間違いない。では、昔はどうでしょう。幸田文の小説「流れる」(1955年発表)には出てきます。
日向{ひなた}で見る絹糸よりつややかに繊細に、清元の節廻しは梨花の腑{ふ}に落ちて行った。(新潮文庫1999年57刷改版 p.232)
さらに古いほうへ行くと、夏目漱石が使っています。「彼岸過迄」(1912年発表)にはこうあります。
何しろこういう問題に就て、出来るだけ本人の自由を許さないのは親の義務に背くのも同然だという意味を、昔風の彼女の腑{ふ}に落るように砕いて説明した。(新潮文庫 1952年発行 1990年67刷改版 2005年88刷 p.280)
漱石はまた、「明暗」でもこの語を使っています。

以上で、この語は、現に存在し、現代の文章の名手も使っており、ことばとしても昔からある、ということが分かりました。辞書などに「腑に落ちない」しか載っていないとすれば、それは辞書に何らかの方針があるか、うっかりしていたのか、どちらかでしょう。

一体に、「こういうことばはない」とか、「もしあったとしても最近使われるようになったのだ」とか主張することはむずかしいことです。困ったことには、いったんそういう言説が広まってしまうと、今までそのことばを使っていた人までが、「このことばを使うと教養がないと思われるんじゃないか」などと気になって、使用を控えることにもなりかねません。ことば批判は、「ことば狩り」と背中合わせなので、注意すべきです。

追記
この話は、とっくに先蹤がありました。道浦俊彦氏「平成ことば事情」の「ことばの話」909「腑に落ちる」に、「いんてる」105(2004.07.02)に載った境田稔信氏の文章「「腑に落ちる」と「的を得る」」が紹介されています。この号は、以前、私も境田氏にお願いして送っていただいたものであり(!)、「えっ」と思って確かめてみると、辞書の記述が紹介されていました。

要点は、(1)戦前の辞典では『大日本国語辞典』『日本大辞典言泉』『大辞典』などが「腑に落つ」〔見出し〕で載せている。(2)『日本国語大辞典』第2版に「ふに落ちる[入る]」「ふに落とす」の見出しで載り、否定・肯定の用例がある。(3)水谷静夫氏が「釈然」に関し「『釈然とした』(=腑に落ちた)よりも『釈然としない』というほうが記憶に残るから、打ち消しが多く使われる〉という話を座談会でしている、ということでした。

最新の『日本国語大辞典』第2版にも、たしかに「腑に落ちて」の例が載っています。徳冨蘆花「思出の記」(1900-01)で、上記の夏目漱石の例より古い例があっさり出ています。本文に当たると、
 四ケ月経てば、学校の様子も大略{おほかた}腑{ふ}に落ちて、僕も先づ関西学院生となり了{すま}したのであつた。(五の巻(二)、筑摩現代日本文学全集5 p.225)
とあります。

こういう基本的な調べが不十分なままに文章を書いたのは、不用意でした。とりわけ境田氏にはご無礼をいたしました。おわびを申し上げます。

なお、NHK「お元気ですか日本列島」の「気になることば」2005.10.17「腑に落ちる、って変?」でも取り上げられており、有島武郎「或る女」から「腑に落ちる」の例が引かれています。この例は知っていましたが、完全な肯定ではないので、私の文章では触れませんでした。(2006.03.03)
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2006年01月17日

ワガママごはん

今週発売の「オレンジページ」の広告が新聞に載っており、そこに「ワガママごはん」という大きな文字がありました。
コウさんが教えます!
男が食べたい
ワガママごはん
(「オレンジページ」2006.02.02広告「朝日新聞」2006.01.17 p.12)
私は最近、この「わがまま」ということばに注目しています。これまで「わがまま」といえば、「なんてわがままな子どもだ」とか、「わがままを言ってはいけない」とかいうように、否定的な語感をこめて使うことが多かっただろうと思います。「私のわがままを聞いていただいてありがとうございます」とは言っても、「あなたのわがままを聞いてさしあげましょう」とは言わなかったはずです。そんなことを言えば相手は怒り出すでしょう。

ところが、最近は、肯定的な語感をこめて「わがまま」を使う場合があります。この雑誌の広告にある「ワガママごはん」というのは、「自分の流儀で作る(食べる?)ご飯」ということでしょう。これはよい意味で使っています。

もっとも、手元には、このように肯定的な語感の「わがまま」の例は、これまで1例もありませんでした(これは私の怠慢のせい)。インターネットでは、「とってもわがままなあなたのために」などという、失礼きわまりないとも言える例を見つけています。しかし、マスメディアで使っている例としては、きょう見た広告が、貴重な第1例目ということになります。

「オレンジページ」の最新号を買って読めば、もう少し例が拾えるかもしれません。買ってみようかどうしようか、迷うところです。

同じような事情で注目していることばとして、「欲張り」があります。「欲張り」は、どう考えても肯定的なことばではないと思っていました。ところが、女優のミムラさんがコマーシャルで、
女はけっこう欲張りなのよ。
(富士通「FOMA F700i」CM テレビ朝日 2005.04.25 23:00ごろ)
と使っています。これは、べつに謙遜しているわけではないでしょう。それどころか、なんだか得意げに言っています。

このことばが相手に対して使われることもあります。
もうふつうのクリスマスでは満足できない、そんな欲張りなあなた。「ものしり一夜づけ」が、ちょっぴり知的な香りが漂う、大人のクリスマスをお届けします。
(NHK「ものしり一夜づけ」番組宣伝 2004.12.14 19:56)
「私が欲張りだと? けんかを売ってるのか?」と色めき立つのは間違いです。それどころか、話し手は好意に満ちているのです。

何気なく使ったことばが、無用のいさかいを招かないように、注意が必要です。
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2006年01月16日

「迷惑」ということばの外延

「ご迷惑をおかけしました」というときの「迷惑」は、「その人のしたことが もとになって、相手や まわりの人が こまったり、いやな思いをしたり すること。」(三省堂国語辞典)という意味です。でも、実際には、きわめて深刻な事態にも「迷惑」が使われます。「迷惑」ということばの外延(使える範囲)を超えて使っているのではないかと思うことがあります。

NHKの正午のニュースで、キリンビール横浜工場が基準超える廃水を海に流したとして書類送検されたと報じられました。会社は次のような談話を出しました。
迷惑をかけ申しわけない。従業員に対する再教育を行うとともに、タンクからあふれそうな場合には、アラームが鳴るようにシステムを変えるなど、再発防止に向けた取り組みを進めている」(2006.01.16 12:00)
こういうときに「迷惑」ということばは当てはまるでしょうか。海に廃水が流れ込めば、たしかにわれわれは「こまったり、いやな思いをしたり」します。しかし、廃水の垂れ流しが続けば環境を汚染し、生きものの健康被害を引き起こすのですから、気持ちの問題ではすまなくなります。事実を直視れば、たとえば、「環境汚染につながりかねない事態を引き起こし申しわけありません」などのコメントが必要ではないか。厳しく言えばそうでしょう。

「ご迷惑」は常套句になっていて、とうてい気持ちの問題ではすまない場合にしばしば使われます。たとえば、以前に中西という衆議院議員が強制わいせつ事件で逮捕され、釈放された時に、記者会見で次のように述べました。
六本木の路上で見ず知らずの女性に大変なご迷惑をおかけしてしまいました。当時、私は、後から思い出しても思い出せないほどお酒を飲んでおり、……(「NHKニュース7」2005.03.11 19:00)
なんだか、人を長時間待たせたとか、重い荷物を運んでもらったとか、そういう話のような印象を与えます。実際は、相手の人権を冒す重大な犯罪だったのです。「ご迷惑」という表現では本来覆いきれないはずの行為をそのように表現する。そこに、この人物の反省の度合いが推量されます。

また、宮城県で中学生の男子が銃を奪おうとして警察官を刺傷した際、校長先生は
昨日、8月23日の事件について、大変ご心配やらご迷惑をおかけして、ほんとうに誠に申し訳ありません。(「NHKニュース7」2005.08.24 19:00)
と述べました。校長先生のご心痛は分かるけれども、人を刺傷した事件について、「ご迷惑」という表現はあまりにも穏やかすぎるというべきです。

「ご迷惑」という表現といえば、すぐ思い浮かぶのは、日中国交回復の際の田中角栄首相の発言です。1972年9月25日、田中首相は北京での第1回会談の後の宴会で、「〔日本は歴史上〕中国国民に多大のご迷惑をおかけした」とあいさつした。ところが、この「ご迷惑」が中国語で「麻煩」と訳され、あまりにも軽い印象を与えたために事態が紛糾したというのです。

田中首相の話は有名なので、語の意味や語感を扱う書物でよく取り上げられていると思いますが、今、探しても見つかりません。鳥飼玖美子氏の『歴史を変えた誤訳』(新潮文庫)にありそうな話ですが、出てきませんでした。もう少し探索してみます。
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2006年01月11日

LOHASとは何

「LOHAS」という見慣れないことばを週刊誌で目にしました。しかも、それがどうも変な使われ方をしているようなのです。

記事では、〈静かなブームを呼んでいるLOHASな大金持ち/伝説の倹約家 本多静六の「もったいない」人生〉というタイトルのあとに、次のようなリードが続きます。
株ブームのなか、本多静六が静かな人気と聞いても、ピンとこないかもしれない。戦前の東大教授で日比谷公園を設計した林学者、と言われても知らないだろう。だが彼は、本職の傍ら投資で財産を築いた「お金持ちになる達人」であり、幸せに生きる「人生の達人」でもあった。没後53年。今こそLOHASな静六に学べ――。(「週刊朝日」 2005.11.18 p.36)
ここだけを読むと、「LOHAS」とは「倹約して」「財産を築く」ということかという印象を受けます。そして、事実、この記事では本多静六という人の貯蓄法を紹介しているのです。それなのに、本文のどこにも「LOHAS」の語を説明している箇所がありません。

記事の様子からすると、「LOHAS」は、私が知らないだけで、すでに広まっていることばらしい。そこで、インターネットの「デイリー 新語辞典」(三省堂)で調べてみると、「LOHAS」は「ロハス」または「ローハス」と読むということです。「lifestyles of health and sustainability」、すなわち、「健康的で持続可能なライフスタイルのこと。また,それを志向する市場のこと」だそうです。

いつごろから使われ始めたことばでしょうか。NPO法人ローハスクラブのホームページの解説によれば、すでに「日本経済新聞」2002.09.21で大和田順子氏が「環境重視の生活様式 LOHAS」のタイトルでアメリカの状況を報告しており、これが「ロハス」(記事中では「ローハス」)についての本邦最初の報告だということです。

人に聞いてみると、テレビでも、新聞の特集でも、最近は「LOHAS」が注目されているといいます。健康や環境に配慮した生活をするためには、これまでは窮屈な思いをしなければいけないと考えられていた。しかし、そうではなく、多少お金はかかっても、無理をせずに、健康と環境を維持していく生活のしかたがロハスなのだそうです。

さて、そうすると、先の週刊誌の記事は、どうもずれているのではないかという気がします。そこに紹介されている林学者の生活は、まさしく窮屈な思いをしてお金を貯めるというものだからです。
25歳で今の東大農学部の助教授になった静六が実施したのが、「4分の1天引き貯金法」だった。定期収入は4分の1を、臨時収入は全額貯金する。当初は生活が苦しく、おかずが「ごま塩」の日々もあり、子どもたちを気の毒に思ったという。
ごま塩だけをおかずにして暮らす生活は、おそらくロハスの精神とは異なるものでしょう。

これまでロハスなるものを見たことも聞いたこともなかった私が言うのもどうかと思いますが、この記事の記者は、新しがってこのことばを使ってみただけなのでしょう。しかも、そのことばについての理解が不足していたため、結果としてとんちんかんな記事が出来上がってしまいました。私は、この記事から、「LOHAS」というのは要するに「倹約」とか「清貧」ということなのだと理解しました。同様に理解した読者も、きっと少なくないでしょう。

ことばの意味というのは、こういうことからだんだんずれてゆきます。ローハスクラブの人が聞いたら残念がるでしょう。
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2006年01月02日

「じっせん」は訛りだという説

「十銭」と書いてあったら、どう発音するか。NHKテレビで、アナウンサーの発音を聞いていると、「じっせん」「じゅっせん」の2通りに分かれます。

「じっ」と読むのは、宮田輝さん(故人)、末田正雄さん、杉浦圭子さん、真下貴さん。一方、「じゅっ」と読むのは、加賀美幸子さん、徳田章さん、畠山智之さん、上田早苗さん、武田真一さん、藤井克典さん、山本志保さん。「じゅっ」のほうが多数派になっているようです。

「十銭」「十本」は、本来、「じっせん」「じっぽん」と読むのが正しかった、というのはまず間違いないでしょう。「十」の音はむかし「ジフ」だった。この「ジフ」が、一方では長音化して今の「ジュウ」になった。一方では促音化して「ジッ」になった。「ジュッ」というのは、誤りとは言わないとしても、少なくとも「ジュウ」「ジッ」両方を混ぜた言い方と考えなければならない。

この類例を上げるなら、たとえば「入」の字がそうです。この字の音は、むかしは「ニフ」だったのが、一方では長音化して「ニュウ」、一方では促音化して「ニッ」と読まれるようになった。そこで「入室」は、ふつうは「にゅうしつ」と読むけれども、禅では「にっしつ」と読みます。しかし、両者を混ぜた「にゅっしつ」という言い方はしません。

さて、以上のように、歴史的な観点からは「ジフ」が「ジッ」になったことは疑いの余地がないようにみえます。ところが、「『十銭』を『じっせん』と言うのは東京弁の訛りでで、『じゅっせん』が本来だ」と考える人があります。「新宿」を「しんじゅく」ではなく「しんじく」と訛るようなものだというのです。

高島俊男氏によれば、最近では、北海道大学および富山大学の言語学者がこの「『ジッ』は『ジュッ』の訛りだ」という説を唱えているそうです(『お言葉ですが…9 芭蕉のガールフレンド』p.267以下)。高島氏は「頼りないやつ」「アテズッポウを言う前になぜ調べてみないか」と批判しますが、両氏に限らず、「『ジッ』は『ジュッ』の訛り」と唱える人はかなり昔からありました。

ここに『ことばの研究室』なる古い本があります。NHKラジオで戦後に放送された同名の番組をまとめたものですが、その第4巻(1954年刊行)に、生井さんという学生と言語学者・熊沢龍氏の問答が載っています。
 生井 新宿はシンジクですかシンジュクですか。
 熊沢 シンジクですね。漢字の音に忠実ならシンジュクでしょうが。東京では誰もシンジュクと言いませんよ。十銭もジッセンで、ジュッセンと発音していませんね。元来拗音の子音そのものが半母音のイという音の要素を含んでいるので、シュやジュはシやジと発音され易いのです。(p.42)
熊沢氏は、本来は「じゅっせん」で、「じっせん」は東京での訛りだと考えています。

このほかにも「『ジッ』は『ジュッ』の訛り」という意見が載っている文献を知っています。「識者」といわれ、「学者」といわれる多くの人々が、なぜ漢字音の常識に合わない説を唱えるのか、その理由には興味がわきます。
posted by Yeemar at 15:37| Comment(2) | TrackBack(1) | 語彙一般 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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