●皆無『新明解日本語アクセント辞典』(以下『新明解ア』)によれば頭高アクセントです。つまり、「カ’イム」です(今、アクセントが下がるところに「’」を入れて示します)。平板にするのは、古いアクセントなのでしょうか、単なる誤りでしょうか。
水に浸かった稲は、腐り果てて、収穫は皆無〔カイム(平板)〕となりました。〔1966年〕
●恐怖「恐怖」も、私は頭高で「キョ’ーフ」と発音します。『新明解ア』では「恐怖」のアクセントとして「キョ’ーフ」を先に、「キョーフ」を後に記しています(「標準アクセントとして望ましいとと思われる方」が先になっている)。しかし、平板の言い方のほうが古いのかもしれません。
ようやく婦人子どもら二十三人が降ろされましたが、この後「よど号」は百人を超す人々の恐怖〔キョーフ(平板)〕を乗せて、北へ飛び立ちました。〔1970年〕
オランダのアムステルダムを離陸直後ハイジャックにあった乗客と乗員は、ペルシャ湾に面したアラビア半島のドバイ空港で恐怖〔キョーフ(平板)〕の三日間を過ごした。〔1973年〕
●漁業『新明解ア』では「ギョ’ギョー」を先に掲げているのは当然として、その次に「古」と断って平板アクセントを挙げています。
小笠原近海は魚の宝庫。父島では、今内地から島に帰ってきた人たちをはじめ、およそ八十人が、再出発の足がかりにと、漁業〔ギョギョー(平板アクセント)〕に励んでいます。〔1968年〕
●五重塔この例は、「五重塔」を「五重の・塔」(ゴジューノ・ト’ー)と分けて言わず、一語化して発音しています。私は分けて発音します。そのほうが多数派ではないでしょうか。もっとも、『新明解ア』では、「ゴジューノ’トー」が前に、「ゴジューノト’ー」が後に記されていますから、一語化して発音するほうが標準アクセントとして望ましいという考えのようです。
〔谷中の五重塔(幸田露伴の小説のモデル)炎上事件を報じるニュースのアクセントで〕五重塔〔ゴジューノ’トー〕〔1957年〕
●代金私は頭高で「ダ’イキン」と言います。『新明解ア』は平板の「ダイキン」を主に掲げ、「ダ’イキン」は「新」であると注記しています。
〔ボーナスが二兆円を超え〕これに農家に入る米の代金〔ダイキン(平板アクセント)〕などを合わせますと、年末に動いた金はざっと三兆円ということです。〔1968年〕
●バッキンガム宮殿私は「バッキンガムキュ’ーデン」と一語化して発音しますが、このナレーションでは中高の「バッキンガム」と平板の「宮殿」を分けて発音しています。私は昔の野球放送で、「甲子園球場」を「コーシ’エン・キュージョー」などと分けて発音するアナウンスを聞いていました。旧式なのでしょうか。「バッキ’ンガム・キューデン」も同様のアクセントです。
ロンドンは天皇陛下にとって青春の思い出の地。五十年前、皇太子としてパレードされた同じ道を、馬車行列はバッキンガム宮殿〔バッキ’ンガム・キューデン〕に向かう。〔1971年〕
●花形私は平板で「ハナガタ」。『新明解ア』では、中高の「ハナ’カ゜タ」を主とし、平板は「新」という扱いです。
外貨獲得の花形〔ハナ’カ゜タ〕、そのひとつが自動車です。〔1969年〕
●非核これはどういう発音のつもりか、ちょっと難しいのですが、「非核」を「ヒ」と「カク」とに分けて発音しています。そして、「ヒ」を高く発音するのです。このころは、「非核」ということばが十分に一語化していなかったのでしょうか。『新明解ア』では平板となっています。
なかでも、核の取り扱いについては、日本の「非核〔ヒ・カク(ヒにアクセント)〕三原則」との関係などから話し合いが長引き、〔1969年〕
●料金私は頭高で「リョ’ーキン」。『新明解ア』は「リョ’ーキン」「リョーキン」の順で掲出しています。
〔タクシーの〕料金〔リョーキン(平板)〕の値上げについても、東京と大阪では、タクシー業界の体質改善を見届けてから実施するという、厳しい措置がとられました。〔1969年〕
こうして見てみると、アクセントが気になるのは1970年代前半までに放送されたものに限られます。ビデオ自体は80年代末まであり、私はそれらをわりあいていねいに見たつもりです。しかし、70年代後半以降のものには、あまり注意を引くアクセントは出てきません。
これは、だれが聞いてもそうなるのでしょうか。それとも、私が1960年代後半の生まれであることと関係があるのでしょうか。つまり、私は自分の育った70年代後半から80年代のアクセントについては、たとえ2000年代のアクセントと違っていても違和感を抱かず、一方、自分が物心がつくより前の時代のアクセントには違和感を抱くということなのでしょうか。よく分かりません。