2006年07月02日

昔のニュースのアクセント

NHKで、年末に放送するニュース特集「ニュスーハイライト」は、過去のものがビデオとしてまとめられています(「NHK THE NEWS」NHKエンタープライズ 1989?)。ナレーションを、今のニュースのことばと比べてみると、少なからず違いがあります。ここでは、注意を引いたアクセントを記しておきます。
皆無
水に浸かった稲は、腐り果てて、収穫は皆無〔カイム(平板)〕となりました。〔1966年〕
『新明解日本語アクセント辞典』(以下『新明解ア』)によれば頭高アクセントです。つまり、「カ’イム」です(今、アクセントが下がるところに「’」を入れて示します)。平板にするのは、古いアクセントなのでしょうか、単なる誤りでしょうか。
恐怖
ようやく婦人子どもら二十三人が降ろされましたが、この後「よど号」は百人を超す人々の恐怖〔キョーフ(平板)〕を乗せて、北へ飛び立ちました。〔1970年〕

オランダのアムステルダムを離陸直後ハイジャックにあった乗客と乗員は、ペルシャ湾に面したアラビア半島のドバイ空港で恐怖〔キョーフ(平板)〕の三日間を過ごした。〔1973年〕
「恐怖」も、私は頭高で「キョ’ーフ」と発音します。『新明解ア』では「恐怖」のアクセントとして「キョ’ーフ」を先に、「キョーフ」を後に記しています(「標準アクセントとして望ましいとと思われる方」が先になっている)。しかし、平板の言い方のほうが古いのかもしれません。
漁業
小笠原近海は魚の宝庫。父島では、今内地から島に帰ってきた人たちをはじめ、およそ八十人が、再出発の足がかりにと、漁業〔ギョギョー(平板アクセント)〕に励んでいます。〔1968年〕
『新明解ア』では「ギョ’ギョー」を先に掲げているのは当然として、その次に「古」と断って平板アクセントを挙げています。
五重塔
〔谷中の五重塔(幸田露伴の小説のモデル)炎上事件を報じるニュースのアクセントで〕五重塔〔ゴジューノ’トー〕〔1957年〕
この例は、「五重塔」を「五重の・塔」(ゴジューノ・ト’ー)と分けて言わず、一語化して発音しています。私は分けて発音します。そのほうが多数派ではないでしょうか。もっとも、『新明解ア』では、「ゴジューノ’トー」が前に、「ゴジューノト’ー」が後に記されていますから、一語化して発音するほうが標準アクセントとして望ましいという考えのようです。
代金
〔ボーナスが二兆円を超え〕これに農家に入る米の代金〔ダイキン(平板アクセント)〕などを合わせますと、年末に動いた金はざっと三兆円ということです。〔1968年〕
私は頭高で「ダ’イキン」と言います。『新明解ア』は平板の「ダイキン」を主に掲げ、「ダ’イキン」は「新」であると注記しています。
バッキンガム宮殿
ロンドンは天皇陛下にとって青春の思い出の地。五十年前、皇太子としてパレードされた同じ道を、馬車行列はバッキンガム宮殿〔バッキ’ンガム・キューデン〕に向かう。〔1971年〕
私は「バッキンガムキュ’ーデン」と一語化して発音しますが、このナレーションでは中高の「バッキンガム」と平板の「宮殿」を分けて発音しています。私は昔の野球放送で、「甲子園球場」を「コーシ’エン・キュージョー」などと分けて発音するアナウンスを聞いていました。旧式なのでしょうか。「バッキ’ンガム・キューデン」も同様のアクセントです。
花形
外貨獲得の花形〔ハナ’カ゜タ〕、そのひとつが自動車です。〔1969年〕
私は平板で「ハナガタ」。『新明解ア』では、中高の「ハナ’カ゜タ」を主とし、平板は「新」という扱いです。
非核
なかでも、核の取り扱いについては、日本の「非核〔ヒ・カク(ヒにアクセント)〕三原則」との関係などから話し合いが長引き、〔1969年〕
これはどういう発音のつもりか、ちょっと難しいのですが、「非核」を「ヒ」と「カク」とに分けて発音しています。そして、「ヒ」を高く発音するのです。このころは、「非核」ということばが十分に一語化していなかったのでしょうか。『新明解ア』では平板となっています。
料金
〔タクシーの〕料金〔リョーキン(平板)〕の値上げについても、東京と大阪では、タクシー業界の体質改善を見届けてから実施するという、厳しい措置がとられました。〔1969年〕
私は頭高で「リョ’ーキン」。『新明解ア』は「リョ’ーキン」「リョーキン」の順で掲出しています。

こうして見てみると、アクセントが気になるのは1970年代前半までに放送されたものに限られます。ビデオ自体は80年代末まであり、私はそれらをわりあいていねいに見たつもりです。しかし、70年代後半以降のものには、あまり注意を引くアクセントは出てきません。

これは、だれが聞いてもそうなるのでしょうか。それとも、私が1960年代後半の生まれであることと関係があるのでしょうか。つまり、私は自分の育った70年代後半から80年代のアクセントについては、たとえ2000年代のアクセントと違っていても違和感を抱かず、一方、自分が物心がつくより前の時代のアクセントには違和感を抱くということなのでしょうか。よく分かりません。
posted by Yeemar at 23:02| Comment(0) | TrackBack(0) | 音声・音韻一般 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年02月05日

対校 木村拓哉発言

先日「やられますね、いい感じのKO。」の中で、「プロジェクトX」での木村拓哉さんの発言を引用しました。「プロジェクトXで取り上げられてる人たちって、わりとその猪突猛進型というか、……」と番組の魅力を語っているコメントです。

ところが、あとでネットを調べてみると、驚いたことに、この時の彼の発言を自分のブログなどに引用している人が少なくとも5人はいるのです。

考えてみれば、トップスターの発言ですから、多くの人が注目し、引用するのも当然です。私としては、「つい聞き逃してしまうテレビのことば」の1つとして記録したつもりでしたが、このようにあちこちで記録されているのを知ると、ちょっとがっかりします。

しかも、それらの引用文を私の引用文と比べると、どれも少しずつ違っていました。私は不安になりました。自分の聞き取り方が悪いために、発言を不正確に記録してしまったのではないかと。改めて確かめようにも、もう発言の録画は消してしまいました。

こういうときは、それぞれの引用文を比較して(対校して)、どれが元の発言を正確に伝えているかを推定する方法があります。古典作品の写本のうち、どれがいちばん原典に近いかということも、こうやって調べます。

私のものを含め6種の引用文を比較検討してみました。「わざわざそんなことを」とおっしゃるなかれ。ことは資料の信頼性に関わる問題です。

結論から言うと、「私の引用がいちばん正確だ」と胸を張っていいと思います。

1句ごとに比べてみると、私のを含めた6つの文章がすべて一致している箇所は、必ずしも多くありませんでした。たいていは、どれかが異なっています。そして、私の文章は、後に述べる1箇所を除いて多数派のほうに入っていました。まずは、妥当な聞き取りだったろうと思うのです。

相違点のうち、いくつか興味深い箇所がありました。たとえば、
VTR明けでその人たちの感想を聞く空気感とかあったじゃないですか。
の部分を、「その人達の感想を聞く…聞く期間とかあったじゃないですか」としてある引用がありました。たしかに「感想を聞く期間があった」のほうが「感想を聞く空気感があった」よりも日本語として自然です。しかし、他の引用では、みな「空気感」としてありますから、「空気感」で正解でしょう。「よく聞き取れず」と但し書きをつけた引用もありました。発言者のことばの選び方のせいで、理解が妨げられたのでしょう。

意見が分かれたのは、発言の冒頭部分でした。
プロジェクトXで取り上げられてる人たちって、
というのが、引用によって、「取り上げて、出てる人たち」「取り上げている人たち」「取り上げている人達」「取り上げてる人達」「とりあげられてるヒトたち」と、まちまちなのです。

この部分については、私の聞き取った「取り上げられてる」は多数派ではありません。「取り上げて(い)る」とする引用が3つあり、「もしかするとこちらが正しいのかも」と思いました。「取り上げる」と「取り上げられる」を聞き違えては大変です。

ただ、「取り上げて、出てる人たち」と聞き取った引用があることが注目されます。これは、元の発言が「取り上げ○○○る」のように、「る」の前に不明瞭な部分が3音節あったためではないかと推測されます。たとえば、

「とりあげえーてる」

のようなあいまいな発音ではなかったでしょうか。これが、人によってさまざまに解釈されたのでしょう。「取り上げられてる」と解釈していいのではないでしょうか。

追記
消したと思っていた録画が、じつは残っていました。従って、このように対校をしなくても、録画を見直せばよかったというオチがついてしまいました。そこで、改めて聞き直してみました。冒頭の所は「とりあげれる、てる人たち」と聞こえました。「る」の前に不明瞭な部分が3音節あった」と書きましたが、「れる、て」で3音節(3拍)になっていたわけです。「取り上げられてる人たち」の言い損ないとも、「取り上げてる人たち」とも解釈できます。(2006.02.11)
posted by Yeemar at 04:23| Comment(0) | TrackBack(0) | 音声・音韻一般 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする