制度が決まったころには、それほど批判の論調がなく、今になって批判が高まったことに違和感はあります。ただ、私自身が「後期高齢者」であれば、こういう制度はありがたくないので、賛成か反対か投票せよと言われれば、反対票を入れるでしょう。
「後期高齢者」という呼び名についても、たしかに「人生の終わりが近い」というニュアンスが感じられて、いかにも無神経です。もともとは老人学などの用語でしたが、それを役所がそのまま制度の名前に使ったのはよくありません。また、「長寿医療制度」という「通称」も、実態をごまかすという意見に説得力があります。
NHKニュースを聞いていると、どちらの名称も避けていました。
七十五歳以上の高齢者を対象に、今月から始まった医療制度で、新しい保険証が届いていない人が、六万三千人あまりに上ることが、厚生労働省の調べで分かりました。〔略〕新しい医療制度は、七十五歳以上の高齢者を対象に、今月一日から始まったもので、〔略〕おととい現在で、新しい制度の対象となる千三百万人のうち、〔略〕(NHK「ニュース7」2008.04.11 19:00)という具合です。新聞では両者併記ですが、朝日・読売・産経・東京・日経が「後期高齢者」を先に、毎日が「長寿」を先にしているようでした(違う場合もあるかもしれません)。
さて、この「後期高齢者」ということばですが、辞書に載せるべきだろうか、と考えます。考えるも何も、すでに『広辞苑』には第5版(1998年)から見出しに立っています。小型の『三省堂国語辞典』でも、第5版(2001年)から、「高齢者」の項目に「前期高齢者・後期高齢者」という言い方を示してあります。ただ、これは老人学などの用語として載せているものです。今、さかんに使われているのは、いわば「役所発」の官製語です。私としては――これは偏見を含みますが――役所発のことばというのは、品がない、実態をごまかす、などの点で、あまり辞書に載ってほしくないものが多いのです。「後期高齢者」「長寿医療制度」などは、さしずめその代表です。
厳密な官製語というのとは違いますが、『三省堂国語辞典』では、第5版に「ロト」「ミニロト」「ナンバーズ」が載っていました。宝くじの名称であり、くじの「胴元」は地方自治体です。宝くじとは役所がかけごとを推奨するものと思っている私は、このネーミングを片腹痛く思っていました。第6版では、結局、「項目としては細かすぎる」という理由で削除されました。第6版には「トト」(サッカーくじ)が残っていますが、これも売り上げが伸びず、存在意義に疑問が投げかけられています。次回の改訂までに制度が消滅してくれればいい、と思っています。
「後期高齢者」も、これらと同じで、そういう制度ができたからといって辞書に載せるのは、役所のお先棒を担ぐようでおもしろくありません。でも、おもしろかろうがなかろうが、ことばが定着してしまえば、それは現代語の一部ですから、中立的に行こうと思えば載せるしかありません。たとえば、こんな感じになるでしょうか。
こう き[後期](名)……――こうれいしゃ[後期高齢者](名)〔行政などで〕七十五歳以上の人を呼ぶ言い方。「―医療(イリョウ)制度〔=年金から一定の保険料をとる、七十五歳以上の人の医療制度。長寿(チョウジュ)医療制度〕」(←→前期高齢者)ここには、この名称がいかがわしいとか、この制度に批判があるとかいう説明は一切省かれます。それが辞書というものだからです。
辞書に載せなくてよい場合があるとすれば、それは、制度や名称が変更になった場合です。問題点が明らかになり、この制度・名称が変更を迫られることになれば、「後期高齢者」は辞書の見出しに立てる必要がなくなります。私はそのことをひそかに願っています。