2008年03月19日

新しい語法?「可能+ている」

動詞「楽しむ」を可能形にすると「楽しめる」になります。これは当たり前。では、それに進行形「ている」をつけて「楽しめている」と言うことはできるでしょうか。

若い人は、おそらく「できる」と言うのではないかと思います。たとえば、次のように使う例があります。
スカッシュのルールや技について知らないこともたくさんあります。それでも、スカッシュは楽しめています
(早稲田大学学生の文章、2006.08.01)
しかし、これは、私には新奇な感じがします。私が書くならば、可能形だけを使って「十分楽しめます」とするか(くどいので「スカッシュ」は繰り返さない)、または、進行形だけを使って「十分楽しんでいます」のようにするか、どちらかです。可能形も進行形も両方くっつける、という発想は、私にはありません。

この「可能形+進行形」の形(ここでは「進行形」に「完了形」も含めます)は、探してみれば、よく目につきます。いくつか引用します。
〔中学校の男性教師〕〔生徒への対応を〕まあいろいろな角度から考えてはいるんですけれども、まあ解決策というか打開策っていうのがまだ自分の中で見つかりきれてない〔=見つかりきれる+てる+ない〕、そういう中でこう日々過ごしているっていうのが、まあ今の現状です。(NHK「NHKスペシャル・“学校”って何ですか?」2007.03.03.21 19:30)

「彼女はあたしの古い友だちよ。ずっと会っていなかったけど、一番信用できる人」/ タカシに聞かれていることを考え、そうとだけいった。白理は呑みこめていない〔=呑みこめる+ている+ない〕表情で頷いた。〔大沢在昌・魔女の盟約38〕(「週刊文春」2007.04.26 p.115)

〔住人の女性〕私も夕べから全然寝れてなかった〔=寝れる(←寝られる)+てる+ない〕んで、これでやっとゆっくり眠れますけどもね。(NHK「ニュースウォッチ9」2007.05.18 21:00)

小林〔幸子〕 順風満帆じゃなかったことで、私は今までやってこれている〔=これる(←こられる)+ている〕のかもしれない。(「週刊文春」2008.02.07 p.116)
用例からすると、「……ていない」と否定形で結ぶほうが若干多いかもしれません。いわゆる「ら抜き」表現になることも多く、「やってこられている」と言わず「やってこれている」になったりもしています。いずれにしても、私ならば使わない言い方で、それぞれ「見つかっていない(見つかりきっていない)」「(まだ)呑みこめない」「寝られなかった(寝ていなかった)」「こられた」と言いそうなところです。

昔はどうだったかというと、「可能形+進行形」の形はなかったわけではありません。たとえば、「文章がよく書けている」などと言います。「書ける+ている」です。太宰治「ろまん灯籠」(1940-1941)には〈面白い。よく書けていますよ。〉と出てきます。ただ、この「書ける」は、「(紙を)折る」の結果として「(紙が)折れる」と言うのと同じく、「書く」の結果を表す「書ける」であると考えることもできます。

昔の状況については、精査していません。ここでは、「どうも、昔の文章ではあまり「可能形+進行形」は見かけないような気がする」という、私の印象を記すにとどめます。もし、確実な例をご存じでしたらご教示ください。

「楽しめている」のような言い方が、もし新しいと仮定すれば、それはいつごろから広まった言い方でしょうか(仮定の上に立つ推測というのはあやふやですが、まあお見逃しください)。それは、「いけてる」ということばが流行しはじめたころではないかと思います。「いけてる」は「いく(行)」の可能形「いける」に「てる(←ている)」が付いたものです。「いける」は「(酒が)いける口」のように、長らくこの形で使われ、戦後は〈このおねえちゃんはちょっといける〉(石坂洋次郎『陽のあたる坂道』1956-57)のように流行したのですが、それに「てる」がついたのは、私の記憶では1996年ごろからです。

「いける」から「いけてる」を作ったのと同じ仕組みで、「楽しめる」→「楽しめている」などの語法が作られ、広まったのではないかと推測します。

なお、方言では、たとえば徳島県で「行けよー行けよー」(←行けよる行けよる。大丈夫)というふうに、動詞の可能形(行ける)に進行形「よる」をつけることがあるようです(「ふるさと日本のことば語彙索引」の「よる」を参照)。関係があるでしょうか。

関連文章=「いける、いかす、いけてる
posted by Yeemar at 16:38| Comment(4) | TrackBack(0) | 文法一般 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
お久しぶりです。清水です。
この用法は私も気になっていました。

私はなんとなく関西発の言い方のような印象を抱いていました。
私の周囲(大阪府)では、記事の最後でご指摘の「〜しよる」も
しばしば聞こえます。ただ、私が首都圏から関西に移ったのは
1996年なので、1996年以降の(全国的な)新しい用法を関西の
用法だと勘違いしている可能性もあります。

野球などのスポーツを語るときの口調が源のような気もします。
性質上「現時点における可能/不可能」を語る場面があるように
思います。「今日はバットがよく振れている」のような。

なにか見つけたらお知らせします。
Posted by 清水 at 2008年04月08日 07:14
ありがとうございます。この語法を考えるときは、「いけてる」だけでなく「言えてる」などの俗語もあわせて考えるべきでした。「言えてる」は「いけてる」よりも古そうです。『日本俗語大辞典』では、「言える」は1974年のマルちゃんの即席麺のCMからとのことで、その変化形が「言えてる」とのこと。『日本国語大辞典』第2版では、1981年の田中康夫「なんとなく、クリスタル」の「言えてる」の例を出してあります。この「言えてる」は、私は関西的な響きを感じます(が、実際はどうか分かりません)。

「今日はバットがよく振れている」は、上の太宰治の「よく書けている」と似ていますね。「文章がよく書けている」「写真がよく撮れている」などは私には違和感がありませんが、「プラモデルがよく作れている」は(もしあったとしても)違和感があります。これは、(ここでの)「書ける」「撮れる」に可能の意味がないのに対し(「文章が書けた」「写真が撮れた」は可能でなく結果)、「作れた」は可能の意味を持つためだろうと考えます。「バットがよく振れている」は、私には違和感があるともないとも感じられ、境界線上の例です。
Posted by Yeemar at 2008年04月10日 07:13
質問ですが、
1.>見つかりきれてない〔=見つかりきれる+てる+ない〕の「見つかりきれる」は、{食べる}+{きれる}={食べきれる}とは種類の違う動詞で、「見つかる」は意味に結果を含んでいて、「きれる」と結合するのにはかなり無理があるように感じます。
 
2.英語の翻訳語からの影響はどうでしょうか?
  have(持つ)→持っている、 know(知る)→知っている、 live(住む)→ 住んでいる、believe(信じる)→信じている等、中学校の英語では、「〜ている」形に訳し、状態や概念を表す動詞は[進行形]にはしないと習いました。これらの「〜ている」形が動詞が本来持っている意味を無差別に無視して、使われ始めていると思うのはこじつけ過ぎでしょうか?

3.関西の敬語
  「行く」「行くので」を京都では{行かはる} {行かはるさかい}、大阪では{行きやる} {行きやるよって}と言います。
Posted by 京の桜色 at 2009年09月18日 04:46
お答えが遅くなりまして、たいへん失礼しました。

1. について、「見つかりきれている」の結合以前に、そもそも「見つかりきれる」に違和感があるとお感じになったことと思いますが、ごもっともです。私も「見つかる」と「きれる」の結合には無理を感じます。一般に、「見つかる」のような自動詞と「きれる」の相性はよくありません。

2. 英語の影響はよく分かりませんね。ただ、昔の日本語では「我知る」のように動詞の終止形をそのまま使っており(これは現代英語の「I know」と同じ)、やがて「私は知っている」と進行形を使うようになり、さらには、「楽しめている」のように多くの動詞に進行形が広がってきたというのが、歴史的な流れではないかと思います。

3. 関西の「はる」は「なさる(なはる)」が転じたもの、「やる」は「ある」が転じたもののようです。これは進行形の発達とはまた別に考えるべきものと思います。
Posted by Yeemar at 2009年10月04日 20:56
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