2006年06月18日

「安くで」は関西・九州のことば

安くで買う」(安い値段で買う)という言い方を筒井康隆氏が多用していることについては、「執筆再開の筒井作品」で触れました。この言い方について、「めずらしい言い回し」と書いたとおりで、東京ではあまり耳にしません。

まれに、耳にすることはあります。私は大学院時代に、神奈川県出身の大学院生が「安くで」を使ったのを聞いたことがあります。「あなたのことばは、どこの地方のものですか」と聞くと、地元神奈川だということでした(その時周りにいた人は「安くて」かと思って聞いていた、とのことでした)。

しかし、どちらかというと、西のほうのことばでしょう。新聞にはあまり出ませんが、大阪版の紙面に次の例があります。
 傘も最近は安くで手に入るようになりましたが、小さい頃は、傘を一本買ってもらうために、どれほどの手段を使ったことでしょう。〔兼保泰三・おしゃれむしぼしばなし〕(「産経新聞」〔大阪夕刊〕2003.06.03 p.9)
岡島昭浩氏は黒島伝治「電報」(1923〔大正12〕年3月)の次の例などを紹介しています(「日本語の用例あつめ・安くで」、テキストは「青空文庫」のもの
二人の子供の中で、姉は、去年隣村へ嫁(かた)づけた。あとには弟が一人残っているだけだ。幸い、中学へやるくらいの金はあるから、市(まち)で傘屋をしている従弟に世話をして貰って、安くで通学させるつもりだった。
黒島は、私と同じ香川県の出身です。ただし、私は「安くで」を使いません。私は高松市出身ですが、黒島は小豆島出身です。小豆島は、「勉強せんさかい」の「さかい」を使うなど、関西弁の特徴が比較的強いのですが、そのことと関係があるかもしれません。

岡島氏の上記サイトではまた、坂口至氏の『国語国文 古本屋巡りをする人のために』(1998)の一節が紹介され、
結果的に駐車料金ゼロでなくなるわけであるが、普通の駐車場に比べれば安くで済む。
とあります。坂口氏は長崎県出身の研究者です。

さらに、『新方言辞典稿』(これは井上史雄氏の執筆)から鹿児島方言の情報が引用されています。今、これを井上・鑓水氏の『辞典〈新しい日本語〉』(東洋書林)で確認すると、
ヤスクデ 「安く」。鹿児島市で「安くで譲ってください」「高くで買います」など。広告でもみるというから、地方共通語(木部1995)。鹿児島の方言新語(木部1997b)<HP>14.「フォントークがやすくで手に入ったので、そろそろネットワーク共有でも始めようかなあ」
とあります。「木部」とは、木部暢子氏の報告のこと。

こうなると、「西のことば」というより「九州のことば」なのか、という気がしてきます。いったい、どこで使われていることばなのでしょうか。

ここで、インターネットで小調査を行います。方法はこうです。「Google」で「"安くで" "プロフィール"」という語句で検索を行います。これによって何ができるかというと、「安くで」を使った個人のブログが検索されるはずです。というのは、個人のブログには「プロフィール」と書かれたリンク部分があることが多いからです。

実際に、この語句で検索すると、「約56,400件」が出てきます。重複を除いても714件です。これを全部調べることはできないので、上から、サンプルになりうるサイトを30件選びます。

サンプルとして採用する条件は、「安くで」を使っていることはもちろん、筆者の出身地もしくは現在の居住地が分かっているということです。これは、主に「プロフィール」によって確認しますが、プロフィールだけで分からなくても、ブログの記述から、現在のだいたいの居住地が分かれば、よしとします。

出身地・現在の居住地のどちらかが分かっていれば、その地域の人と見なします。成育地が分かっていれば、それを優先します。こういうと大ざっぱなようですが、古い方言を再建しようとするのでなく、現在の地域のことばのありさまを観察しようとするならば、これで十分だと考えます。

さて、その結果は以下のようになりました。

関西圏での使用が多く、19件あります。サンプルのうちの約3分の2です。次は九州・沖縄で、8件あります。埼玉・東京・福井の例もありますが、関西圏や九州・沖縄から移ってきた人かもしれません。

この結果は、これまで文献で分かっていた事実と矛盾しません。そして、このほかの地域で使用されることは少ないということも分かりました。「安くで」は、関西および九州・沖縄で多用されることばだ、と考えてよいでしょう。

調査結果からは、九州・沖縄よりも関西で使う人が多いことになります。これは、関西の人口が多いということの反映で、頻用度を反映しているとは必ずしも言えません。とはいえ、人が多ければ、ことばが多く使われることは間違いないので、「関西でより多く使われる」と言ってもかまわないでしょう。

なお、私の妻は大阪府出身ですが、「安くで」を使います。本人に言わせると「共通語だと思っていた」とのことです。「気づかない方言」のひとつということになるでしょう。


追記
本文中で触れた坂口至氏からご連絡をいただきました。熊本大学の学生に「安くで」を使うかどうかアンケートを実施されたそうです(2006.06.26、対象は2年・3年生、言語形成期をほぼ同一の地域で過ごした者)。その概略を引用します。

「自分が使うことがある」のは、長崎県長崎市(3人)・島原市(1)・長与町(1)・森山町(1)・佐世保市(1)・福岡県北九州市(1)・鹿児島県鹿児島市(1)・隼人町(1)・宮崎県都城市(1)。

「自分は使わないが聞いたことはある」のは、福岡県(3)・長崎県(1)・熊本県(4)・大分県(1)。さらに「知らない」のは、山口県(1)・福岡県(6)・佐賀県(1)・熊本県(8)・大分県(3)。

「長崎県・鹿児島県に集中していることが見てとれます」とのご指摘です。なるほど、その通りで、私が「九州のことば」とだけ言ったのは、大ざっぱでした。私の結果でも、大分県や福岡県などの例は出ていませんでした。

追記2
坂口氏になお伺ったところによれば、べつの授業の学生にもアンケートを実施されたそうです。長崎県長崎市(1)・彼杵町(1)・宮崎県延岡市(1)・宮崎市(1)・鹿児島県鹿児島市(1)のほか、長崎県福江市、宮崎県都城市、鹿児島県名瀬市、鹿児島市を転々とした学生も使うとのことでした。
posted by Yeemar at 17:26| Comment(4) | TrackBack(0) | 語彙一般 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
こちらのブログでは初めましてです。
4月初旬以降更新がなかったので少し心配しておりましたがお元気そうで(?)。
於徒楽は京都人ですが、「安くで」は方言なんですね、ひとつ賢くなりました。
例えば「この服バーゲンやったから安くで買えてん」という言い回しですね。
何気なく遣ってました。
Posted by 於徒楽 at 2006年06月21日 16:50
お久しぶりです。更新頻度に極端な波があって、すみません。

おっしゃるとおり、「安くで買えてん」という言い方ですね。京都の於徒楽さんがお使いになっているということは、上で調べた結果が補強されると思います。

「安くで」を方言と思わず、何気なく使っている人は多いのではないでしょうか。
Posted by Yeemar at 2006年06月22日 08:32
小豆島で「安くで」は聞き覚えがありませんが、「安うで」はよく聞きました。今どきの若い人は言わないかもしれません。

「安うで売りよった」(安く売っていた)
「安うで買うた」(安く買った)
「高うで〜」(高く〜)も同様です。

「安うに〜」「高うに〜」も、ほぼ同じ用法です。「に」も「で」も付かない言い方もあります。このへんは関西弁と同じだと思います。

島の言葉が関西弁に近いのは、昔から関西へ丁稚奉公や女中奉公に出る人が多かったせいもありそうです。北西部には岡山弁の影響が強い地域もあります。なぜか讃岐の女性語の「〜いた」(〜ください)は使いません。
Posted by NISHIO at 2006年11月07日 03:03
初めまして。遅ればせながらお邪魔します。

京都市生まれの京都市育ち(80年代頃まで)ですが、「これ安いで、買う(こう)とき!」とは言っても、「安くで」は初めてです。聞いたことがありません。ほかのブログで「におぐ」は京都人が使う、というのがあって驚きました。それも聞いたことがないからです。また、若いころ大阪に本社のある会社にいまして、周りに京阪神の人が多かったのですが、やはり、聞いた記憶はありません。

小豆島の方に近いのですが、濁らずに「あれなぁ、欲しかったんやけどぅ、高う(たこう)て買われへんかったんや」のように「安う(やすう)て」です。

京都というと自分が市内のため、京都市を連想しますが、山陰線で少し府下に入ると微妙に語彙と発音が異なってきます。もちろん、市内でも祇園や年配の人々は方言度(京ことば)が強いのですが、京ことばの標準は3代続いた中京の商家で話されるものとも言われています。

因みに、私の父親は北陸出身、母親はその山陰沿線が実家でしたが、戦前から市内の生活が長く、普通の京都弁でした。それぞれの実家の親戚の人たちは多少異なっていました。

ついでに、ゆで卵のことを「にぬき」と言いますが、大阪の人には通じなかったのを想い出しました。もちろん、東京では言いませんでしたが、、、。
Posted by 京の桜色 at 2009年08月15日 10:08
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