2006年04月02日

「逸話」の意味

前回の「述懐」のほかに、私の使いにくいことばとして「逸話」があります。「逸話」の意味も分からないのか、と言われてしまうかもしれませんが、辞書では、私の語感と一致しない語釈を施しているものが少なくありません。

「逸話」は、『新潮現代国語辞典』には「世間に知られていない話。エピソード。」とあります。ほぼ似た語釈を施す辞書としては、『新選国語辞典』『集英社国語辞典』などがあります。

「あまり世の中に知られていない はなし」と言っても、いろいろあります。たとえば、私がきょう、昼ごはんに天ぷらを食べた、というのも、あまり世の中に知られていない話です。だからといって、「私のきょうの昼ごはんが天ぷらだったという逸話がある」と言っては、おかしくなります。

「逸話」について「あまり世の中に知られていない」という説明がなされるのは、「逸」の字に理由がありそうです。「逸」の字は、「逸する」というくらいで、「失われる」という意味があります。『学研漢和大字典』の説明に即して言えば「はしる・のがれる(のがる)するりとぬけさる。ぬけてなくなる。記録からもれている。とりこぼした。」ということです。「逸失・逸書・逸文」などの「逸」は、その意味で使われたと考えていいでしょう。「逸話」も、これらと同様で、「失われた話」と考えれば、よく分かります。

ところが、「逸」は、ほかにも意味があります。「世の中のルールからはずれる。わくをこえる。また、俗な空気からぬけ出て、ひときわすぐれたさま。」という意味です。「逸品・逸材・秀逸」などはこの意味です。

いくつかの国語辞書は、「逸話」に「おもしろい話」という意味を認めています。これは、「逸」の字に「すぐれた」という語義を認めたからでしょう。

たとえば、『岩波国語辞典』では、「逸話」を「世間にあまり知られていない、興味のある話」と説明しています。ただ、これでは、「『ごまかす』ということばは、江戸時代の見かけ倒しのごま菓子から来ている」(新村出の説)などという、隠れたおもしろい話も「逸話」ということになってしまいます。こういう種類の話は、ふつう「逸話」とは言わないのではないでしょうか。

「逸話」は、やはり、人物についての話であるという要素を省くことはできないでしょう。この点、『大辞林』は「その人の隠れた一面を知らせる、世間にあまり知られていない面白い話。「―に富む生涯」」とあって、私の語感に非常に近づいています。

『新明解国語辞典』は、さらにややこしく、「その人の伝記の本筋に直接は関係しないが、その人間味を物語る材料とするに足る裏話。エピソード。〔狭義では、謹厳で評判な偉人のそれを指す〕」とあります。そこまで言っていいのかどうか、私には評価不能です。

ともあれ、「逸話」とは、単に「逸(いっ)せられた話(=知られていない話)」と説明すれば十分なのか、それに「おもしろい話」「人についての話」という要素をつけることが必須であるのか、辞書の間では意見が一致していません。私が、「使いにくいことば」と言うのは、そのためです。

追記
この文章を書いてから間もなく、「人について」でない「逸話」の例を新聞で見つけました。
 とくに大正6年(17年)創業のニコンのフィルムカメラはベトナム戦争時に被弾を受けて貫通せず、人命を救ったというような逸話とともにその優秀さが全世界に知れわたり、フィルムカメラの象徴的地位を築いていただけに撤退の衝撃は大きい。〔藤原新也・時流自論〕(「朝日新聞」2006.04.03 p.9)
この「逸話」は、ニコンの優秀さとともに「全世界に知れわた」っているはずですから、「知られていない」話でもないのです。「人についてではない、有名な、秀逸な話」と考えるべき例です。「人について」という要素は「省くことはできない」と書いた気持ちは、ぐらついてきました。ただ、ここでは「ニコンのカメラ」が、「人命を救った」などと、やや擬人化した形で扱われているようにも見えます。

なお、辞書の語釈の引用のしかたに問題があったので、引用文を別の辞書に差し替えました。文章の主旨は変わりません。(2006.04.04)
posted by Yeemar at 17:01| Comment(1) | TrackBack(0) | 語彙一般 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
 初めまして。逸話 という字で私も文を書いていて、ひっかかりました。たいへん参考になりました。私の使い方も、藤原さんと同じ部類だと思うのですが、単にエピソードというかわりに使ったのが事実かもしれません。
 私の場合はサークルでの映画の紹介文です。サッドヴァケイション と言う映画です。

 「・・・映画完成から上映前に、実際にバスジャック事件が起こったという逸話がある長編”EUREKA・ユリイカ”はカンヌで絶賛され・・・」こういう形で書いてしまったのですが。
Posted by 岩舘 at 2007年11月06日 15:03
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

認証コード: [必須入力]


※画像の中の文字を半角で入力してください。
この記事へのトラックバックURL
http://blog.seesaa.jp/tb/16038812

この記事へのトラックバック
×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。