この回のディレクターの方からも、私はちょっとだけ電話取材を受けました。また、以前書いた「「頑張れ」の支持率」も参考にしていただいたそうです(番組の内容にかなり近いことが書いてあります)。ただ、私の話は、結局番組では取り上げられずに終わりました。残念。
上記の文章に書かなかったことで、私が話したのは、「昔はあまり『がんばれ、がんばれ』とは言わなかった」ということでした。
もちろん、戦前だって、かの「前畑がんばれ、前畑がんばれ」(1936年のベルリンオリンピックの中継放送、河西三省アナウンサー)のアナウンスが知られるとおり、「がんばれ」と応援していました。でも、それは、スポーツなど、闘志を持って行動している人にかけることばだったと思います。
「がんばれ」と言わないとすれば、何と言ったかというと、「しっかり」です。昔は、やわらかい調子で「しっかり!」と励ましていたのが、いつしか、強い調子の「がんばれ!」が広がってきました。結果的に、「しっかり!」と言えばすむところにまで「がんばれ!」を使うことになり、言われてつらい思いをする人も増えたのでしょう。
「しっかり」という励ましは、今ではあまり聞かなくなりましたが、昔は使っていました。たとえば、獅子文六『悦ちゃん』(1937年作品)では、主人公の悦ちゃん(柳悦子)が、近所の教会で童謡を歌う場面で、友だちから「しっかり」「がんばれ」という声援が飛びます。
悦ちゃんは、ノコノコ、壇へ上って行った。/「しっかりやってえ、柳さアーン!」/「ガンばれえ、悦ちゃアん!」/ キワ子さんとチヨ子さんが、黄色い声を張り上げると、それを合図のように、方々から声がかかった。悦ちゃんを知らない子供が大勢だのに、口真似{くちまね}をして、/ 「悦ちゃアん!」/ 「悦ちゃアん!」と、ものすごい声援である。(角川文庫 p.347-348)ここでは「しっかり」と「がんばれ」が並んで使われています。
明治から終戦後にかけての小学校の国定読本(第1期〜第6期)を見ていくと、次のような使われ方をしています。「しっかり」がやや優勢です。
第2期 1910 明治43〜 しっかり1国定読本では、スポーツの応援場面でも「しっかり」が使われます。
第3期 1918 大正 7〜 しっかり2
第4期 1933 昭和 8〜 しっかり1 がんばる1
第5期 1941 昭和16〜 しっかり2 がんばる1
第6期 1947 昭和22〜 しっかり2 がんばる1
ボク ハ、一生ケンメイ ニ 走リマシタ。/「シッカリ。」/「早ク、早ク。」/オウヱン ノ コヱ モ、ゴチャゴチャ ニ ナッテ 聞エマス。(4期2-2「四 カケッコ」)一方、「がんばる」はどうかというと、山登りでへばっている友だちに「がんばれ」と言ったり、戦場の塹壕で〈一週間もがんばりつづけましたが〉のように使ったりしています。「しっかり」よりも過酷な感じです。
ぼくたちは、コートへでていった。/たかやま先生が、/「しっかりやれ。」/と、元気づけてくださった。/「ピー。」/と、用意のふえが鳴った。(6期4-1「五 作文(ドッジボール大会)」)
佐々木邦「わんぱく時代」(1932年作品)では、相撲を取る場面で、「がんばれ」は使われず、「しっかり」が使われます。
「よしよし」/「今度は負けない」/「何だ? このヒョロ/\が」/ と九鬼君も一生懸命だった。/「稲垣君{いながきくん}、しっかり!」/「しっかり、しっかり!」/ と王供君{おうともくん}と別所君{べっしょくん}と大西君{おおにしくん}が応援してくれた。/「坊ちゃんさま、坊ちゃんさま、おしっかり」/ と神戸さんは大声を立てた。行司のくせにひいきをする。僕は九鬼君を土俵際へ押しつめた。(『佐々木邦全集』第14巻(講談社)p.170)今だったら、こんな時に「しっかり」とは絶対言わず、「がんばれ」しかないと思います(なお「おしっかり」はわざとです)。
「しっかり」が似合うのは女性です。小津安二郎監督の映画「麦秋」(1951年松竹)では、「しっかり」の使われる場面が2か所あります(以下の引用、松竹ホームビデオによる)。
間宮康一(笠智衆) とにかく終戦後、女がエチケットを悪用して、ますますずうずうしくなってきつつあることだけは確かだね。こういうときに、当時の女性はあまり「がんばれ」とは言わなかっただろう、「しっかり」がふつうだったろう、というのが私の見方です。
間宮紀子(原節子) そんなことない。これでやっと普通になってきたの。今まで男がずうずうしすぎたのよ。
間宮史子(三宅邦子) しっかりしっかり。ふふふ。
…………
田村アヤ(淡島千景) 幸福なんて何さ。単なる楽しい予想じゃないの。競馬に行く前の晩みたいなもんよ。あしたはこれとこれとこれ買って、大穴が出たら何買おうなんて、一人でわくわくしてるようなもんよ。
高梨マリ(志賀眞津子) 違う。〔未婚者にはそんなこと言う〕権利なし。
安田高子(井川邦子) 権利なし。
アヤ あんた何さ。
間宮紀子(原節子) 〔アヤに〕しっかりしっかり。
「がんばれ」は命令形なので、「何をがんばればいいのか?」と反発する気持ちも出てきます。一方、「しっかり」は、「土台がゆるがないように」「気をつけて」というような意味なので、反発する気持ちも起こりません。この点は、「しっかり」の長所です。このことばが使われなくなったのは、もったいないことです。
「がんばれ」と言われて傷つく人に対しては、「しっかりね」と言ってはどうでしょう。今の感覚に合うことばとして、推薦しておきます。
▼関連文章=「「頑張れ」の支持率」
交際相手にたまに「がんばれ」と言ったら、結果を求めるようでイヤといわれました。その後「しっかり」と言っていたら、こちらもダメ出しをされました。
もちろんそれだけでなく、他に励ましたり行動も伴うように努めています。
でも、もうどうにもこうにも「がんばれ」とか「しっかり」というのが適切なタイミングってあると思います。
結局、意味的には「しっかり」も「がんばれ」の代用でしかなく、私の場合ではその場その場で気持のこもった言葉を探して言うしかなくなっています。でも、それでもうまく伝わらない場合が多いです。
思いや気持を伝えたり、相手をいたわるには何が必要なのでしょうか。言葉を模索する時点で自分は失格のような気もしてしまいます。
ただ、絶頂期の原節子に言われれば「しっかり」も別の匂いがするのかもしれないかもしれないですよね。。
上記「みんなでニホンGO!」では、スポーツ選手が「がんばります」の代わりに「楽しんで来ます」などと言うようになった、とういう指摘がありました。かといって、大学受験をする人に、「しっかりね」の代わりに「楽しんで来てね」とも言えません。
この種のことばをまるで封印するとなると、こんどは、「あなたには何も結果を求めていません」としか言えず、それもまたさびしいですね。
そこで少し思ったのが、「言葉がつくりだす相手と自分の距離感」に着目したらどうか、ということです。
もしかしたら言葉を相手に直接かけることが相手にプレッシャーとなるのかもしれません。
ですから、相手の行動を促すような激励の言葉をかけるのではなく、気遣うという自分と相手の関係を自分の気持ちとして伝えるのです。
例えば「応援しているよ」とか「あなただったら大丈夫だと思うよ」と。
さらに自分と相手との距離感すら客観化させ「うまく行くといいね」と言う。
こう考えると、「どういう言葉を選ぶか」という平面・二次元の問題に、「どういう距離間で伝えるか」という奥行きができて三次元になるような気がします。
もっとも、どういうタイミングで言うか、という時間の要素、つまり四次元目がもっとも大事なのかもしれませんが・・・
とにかく感情と論理をうまく組み合わせて前進あるのみです。
がんばれ自分!
「しっかり」が使われる場面は、例えばリレーとかムカデ競走とかにおいて、「しくじるな」というような意味で、母親や親戚ご近所の小母さんたちが、子供たちを応援するようなときでした。「がんばれ」という強い発音を要する言葉は、そのころ女言葉ではなかったように思います。ちなみに、生まれ育ちは静岡です。
なお、細かくなりますが、「がんばれ」は動詞(命令)で、「しっかり」は副詞ですから、文法的には完全に同義ではないと思います。
最後に脱線しますが、私なら頭中将に通しで名前を付けるならば、藤原君にします。風流な名前より、源氏君の政敵としてはこちらの方がふさわしいように思います。