じつに超人的な仕事です。用例採集は生涯で「五十年に及び」(「序文」)ということですから、単純計算で、1年間に2万から3万枚のカードを作成したことになります。3万を365日で割ると80枚以上になります。事務的にカードを作るだけなら比較的やさしいけれども、まずは、カードに書きこむべき、めずらしいことばを探す必要があります。それを1語探し出すのにもずいぶん時間がかかるはずですから、それを毎日80語となると、寝ても覚めても、用例を探していなければなりません。
しかし、ここで不思議なことがあります。見坊氏の作った辞書の収録語数は7万3000語(『三省堂国語辞典』第4版)です。彼が20代で作った『明解国語辞典』以来、何度かの改訂があったことを考えても、そのために145万枚のカードというのは、ちょっと多すぎるような気がします。
145万枚という数字がうそだというのではありません。私は、都内某所の倉庫で、その膨大なカードをじかに見せていただいたことがあります(見坊氏の死後に)。ただ、その多くは、実際には、辞書の記述に反映されなかったのではないでしょうか。
見坊氏が、国立国語研究所の宮島達夫氏のインタービューに答えた談話が残っています(「言語生活」1979.02、『ことば さまざまな出会い』三省堂 1983 所収)。そこで、見坊氏は、膨大な「見坊カード」の中から、動詞の「来る」のめずらしい使い方を紹介しています。今、そのいくつかを抜き出して箇条書きにしてみます。
・芝は手入れを怠るとすぐ枯れが来て……まだまだありますが、このへんにしましょう。とにかく、「来る」のあらゆる使い方が全部とらえられて、カードに収められているものと推察されます。
・壁には染みが来て……
・すっかり胃に来ちゃって……
・母の頭には葬式の費用が第一に来るものらしい。
・イギリスも持っているし、フランスも持っている。中国も持って来た。〔注、核兵器の話か何かでしょうか。「最近、保有国が増えてきた」ということでしょうか。〕
・雨がパラパラッと来て……
・ガスの臭いと強い熱気がバァーと来て……
・近頃は日本ブームと来て……
・アカネシンボリ来ました!〔競馬用語で、1着〕
ところが、『三省堂国語辞典』(第4版)を見てみると、「来る」の項目は、あっさりと、かんたんに済まされています。どう書かれているか、意味ごとに改行して示します。
くる[来る][一](自カ)このうち(1)の「来る」は、だれでも知っている当たり前の意味です。(2)も、まあ当たり前でしょう。外国語でも「Spring has come」とか「春天来了」とか言うし、特殊とは言えません。(3)のみ、やや特殊かもしれません。
(1)〔歩いて、または乗り物で〕遠くから・こちら(もとになるところ)へ移る。「こっちへ来い」(←→行く)
(2)〔時刻・季節・順番が〕そのときになる。「春が―」
(3)そのことが原因で、ある状態になる。「つかれから―病気」
〔補助動詞の意味は省略〕
しかし、総じて、この範囲であれば、カードの助けは不要ではないでしょうか。インタビューで紹介されていた「来る」のさまざまな使い方は、この辞書にはほとんど反映されていません。
そうすると、いったい、あの膨大なカードは、何のために採られたのか、分からなくなります。辞書に載せられないことが最初から分かっていながら、いろいろな用例を採ったとしか考えられません。
「辞書とは別に、なにか、『来る』の研究書でも書こうとしていたのではないか」と考える人もいるかもしれませんが、そんなことはありません。見坊氏の業績は、ほぼ、辞書および辞書のための研究がすべてです。
「来る」1語ですら、このように辞書に反映されないカードがたくさんあります。まして、ほかのことばも合わせると、「辞書に反映されないことが初めから分かっていたはずの用例」は、膨大なものになるはずです。
どうせ辞書にも載せず、ほかの研究に使うわけでもないことばを、見坊氏はなぜ採集したのか。一般的な経済原則から考えれば、とうてい理解できないことです。
しかし、経済原則を離れて考えれば、理解できる部分もあります。おそらく、こういうことではないでしょうか。辞書に必要なことばだけを効率的に集めようとし、必要でないことばには関心をもたない人は、結局、必要なことばを集めることもできないのでしょう。見坊氏は、多くの場合、「これはどうせ載らないな」と思いつつ、それでも、ことばへの尽きない興味に突き動かされて、夢中になって用例を拾っていたのではないでしょうか。
「辞書のために用例を集めています」と言えば、人は納得しますが、実際には、それは半面の事実だったろうと思います。辞書の資料としての用例収集だけでなく、見坊氏は、辞書の編纂者として、ことば全体を見わたす広い視界を得るための用例収集を行っていたのではないかと想像します。