今の問題の答えをよく考えた上で、さらに、次の2つの場合を考えてください。「そのくらい自分でやりなさい」と言うか、「そのぐらい自分でやりなさい」と言うか。それから、「宿題をするくらいなら、家の手伝いをしたほうがまし」と言うか、「宿題をするぐらいなら、家の手伝いをしたほうがまし」と言うか。
じつは、この3つの場合には、本来、清濁の区別があります。自省してみて、「なるほど、自分ははっきり区別している」と気がつく人は、分析力にたけた人でしょう(どこかで教わったのでなければ)。どういう区別だかは、あとで記します。私はというと、このうちのどの場合も、清むか濁るか、考え出すと分からなくなります。
昔の私はどうだったのか、学生時代の日記からある期間を抽出して、「くらい」「ぐらい」の数を数えてみました。内訳は、「くらい」を使うことが多く、全体の7割以上です。「ぐらい」はあまり使ってません。
清濁の使い分けについては、それほど強い規則性は感じられません。「二千円ぐらいしかない」と書いたり、「一万くらいしかない」と書いたりしています。「三十分くらい話して」とも「一時間ぐらい話すが」とも書いています。
何年か前、「自分の言い方が、こう不統一ではよくない」と思ったことがありました。どのように使い分ければいいのか、手近の辞書で調べてみました。たしか、たまたまその辞書では区別について言及していなかったと記憶します。「まあ、どちらでもいいらしい」と判断し、自分のこれまでの使用状況や、愛読する作家の使用状況を勘案して、清音の「くらい」を主に使うようにしよう、という方針を立てました。最近の私の文章では、根拠もあいまいなまま、「くらい」が使われるようになりました。
ところが、このように、ことばの使い方を意識的にルール化するのはいけませんね。「くらい」「ぐらい」には、実は微妙な使い分けがあるようなのです。『NHKことばのハンドブック 第2版』の「〜くらい・〜ぐらい」を見ると、「以前は次のような使い分けが行われていた」とあって、
(1)体言には「ぐらい」が付く。と記されています(初版も同様)。おやおや、この「以前」とは、いったいいつだ、と思って『日本国語大辞典』を見ました。「くらい」の語誌欄に、
(2)「この・その・あの・どの」には「くらい」が付く。
(3)用言や助動詞には、普通は「ぐらい」が付くが,「くらい」が付くこともある。
江戸時代には、名詞に付くばあいには濁音、コ・ソ・ア・ドに付くばあいは清音、活用語に付くばあいは清濁両形をとる傾向がある。と書かれています。NHKの『ハンドブック』と似ていますが、最後の「活用語(=用言・助動詞)に付くばあい」の説明のしかたがちょっと違います。活用語につく場合、清濁いずれになるのがふつうなのか、明示されていません。
ともあれ、これは「江戸時代」の区別だったようです。「江戸時代」とくれば、この説の出もとは湯沢幸吉郎『増訂江戸言葉の研究』(明治書院)だろうと思って見てみると、やはりそうです。江戸時代後期の文学作品から用例を示し、
〔上略〕以上の諸例を通観するに、体言には「ぐらい」、「この」「その」等には「くらい」が付き、用言・助動詞には「ぐらい」の付くのが普通であり、「くらい」の付くこともあるということになる。けれどもまた、と説明しています。NHK『ハンドブック』の説明と非常に似ています。そして、『日本国語大辞典』は、湯沢幸吉郎の説明を不正確に引用しているらしいことも推測されます。
○一粒拾六文位{くらい}な涙を落シたり‥‥(八笑人、初二)
のように体言に「くらい」の付いた例も見える。(p.640)
江戸時代の区別は、現代には必ずしも妥当しません。改めて『三省堂国語辞典』を見ると、第3版までは「くらい」と「ぐらい」と、それぞれの見出しの下に、両語に使い分けがあるように語釈をほどこしていましたが、第4版以降は区別をやめています。「ぐらい」の項目に、「体言につくときは、もともとは「ぐらい」と言った」と説明するのみで、「くらい」の項目を見るように指示してあります。もっとも、この「もともと」というのはいつの時代か、よく分かりません。
東京生まれの作家、幸田文(1904-1990)の作品から「流れる」「みそっかす」を取り上げて、「くらい」「ぐらい」の使用状況を調べてみると、なるほど『三省堂国語辞典』の言うとおり、「ぐらい」は体言にしか使われていません。ほかは、すべて「くらい」です。もっと細かく言うと、幸田文の場合は、
- 体言(名詞)に続く場合は「ぐらい」「くらい」が混用される。
- 「この」「どの」に続く場合は「くらい」。
- 動詞など、活用語に続く場合は「くらい」。
私の過去の使い方をもう一度見てみると、たしかに、「くらい」「ぐらい」を混用してはいます。でも、よりくわしく見ると、動詞などの活用語は、ほぼ清音の「くらい」を使っています。大まかにいえば、幸田文の使い方と矛盾するものではないようです。
しかし、今や、私はこの「くらい」「ぐらい」を無意識に使い分けることはできなくなってしまいました。いろいろ考えすぎたために、ネイティブ・スピーカー(母語話者)としての言語感覚が失われてしまったのです。おそらく、この先は、自分で意識的に決めたとおり、原則としては清音の「くらい」を使うでしょう。そして、たまに濁音の「ぐらい」を使いたくなったときも、その直前が体言であるのか(それなら使う)、体言でないのか(それなら使わない)、あとから覚えた知識に照らして、いちいち確かめるでしょう。ことばにこだわりすぎると、このように不幸なことになります。
なお、私は「そのくらい(そのぐらい)」とはほとんど言わず、以前から、「それくらい(それぐらい)」を使っていました。「それ――」のほうが、歴史的には新しいようです。




(1)「10時頃に」、(2)「お昼頃に」、(3)「次の春頃に」、(4)「あの頃は」、(5)「日が沈む頃までに」、(6)「読み終わる頃には」
私は、上の(4)〜(6)は「ころ」と発音しますが、(1)〜(3)は、「ころ」なのか「ごろ」なのか自信がありません。「ころ」、「ごろ」両方を使い分けはでなく、混用している気がします。書くときには、自信のなさ故に、もっぱら漢字を使っています。
頃の発音を濁る(あるいは清む)のは方言だという話を聞いたような気もします。が、濁るほうだったか清むほうだったかも覚えておりませんし、(1)〜(6)のどのケースのことかも分かりませんので、方言説自体も怪しい気がします。
ちなみに私は、長野県の中信地方生まれ、東信地方在住です。
私は、THNKRさんの書かれているうち(1)〜(3)は「ごろ」、(4)〜(6)は「ころ」と発音します。この場合、「くらい」と違って、迷いがありません。
NHKの『ハンドブック』以外に、「ころ」の清濁に触れているものを、今のところ知りません。(1)〜(3)を絶対「ごろ」と言う人、「ころ」と言う人、どちらとも決められない人がいると思います。それは、地方差によるのか、世代差によるのか、私も知りたいと思います。
同様に、「月ごろ/ころ」、「年ごろ/ころ」で検索しても、「ごろ」のほうが多数派のようです。
(引用開始)
ころ|▲頃|ころ|ころ合い,ころは3月… このごろ,○日ごろ
(引用終了)
とあります。「頃」は常用漢字外字ですから、ひらがなで書けということですね。
また、下に続くときの清濁は、「このころ」と「このごろ」では意味が違ってしまうので、「最近」の意味ではどうしても「このごろ」と濁らざるを得ないでしょう。「○日ごろ」は、清音で言う人もいるでしょう。文部(科学)省としては語例を示しているだけで、清濁には踏み込んでいないのだろうと思います。