まず、「きれい」ということば。これは、以前、「「かっこいい」の出世」の中で取り上げました。文部省唱歌「兵隊さん」に「兵隊さんは きれいだな」という歌詞がありますが、これは今でいえば「かっこいい」に当たります。昔は「かっこいい」がなかったため、男の容姿を「きれいだ」と形容することがあったと述べました。
乱歩の作品を見てみると、男を「きれいだ」と形容している例がいくつか見つかります。
もし、彼が以前のように冷静であったなら、その若者の、顔はきれいだが、いやに落ちつきのない目の光だとか、異様にそわそわした様子だとか、それからまた、見物の群衆にまじって、若者のほうを意味ありげににらんでいる顔なじみの刑事などに気づいたでもあろうけれど、(「木馬は回る」〔1926年発表〕p.141)と、このように、美男子、かっこいい男のことを「きれいな若者」とか「きれいなかた」とか表現しています。女を形容するときと同じだったのが、歴史的変遷によって、今では、女は「きれいだ」、男は「かっこいい」と区別されるようになっています。
それを見ると、格二郎はまたしても未練がましく、そうなると、やっぱりむじゃきに見える彼女の様子がいとしくて、あのきれいな若者と競争しをして、打ち勝つ自信などは毛頭ないのだけれど、(同 p.142)
でも、あの人がわたしの夫になるかたかと思いますと、狭い町のことで、それに先方も相当の家柄なものですから、顔ぐらいは見知っていましたけれど、うわさによれば、なんとなく気むずかしいかたのようだがとか、あんなきれいなかたのことだから、ええ、ご承知かもしれませんが、門野というのは、それはそれはすごいような美男子で、(「人でなしの恋」〔1926年発表〕p.178-179)
このほか、おもしろいと思ったことばを書きつけておきます。
●いったいなら「いったいなら」というのは、「もともとなら」ということです。「もともと」の意味で「いったい」を使うのは、たとえば夏目漱石「坊っちゃん」に「一体生徒が全然悪るいです」などと出て来ます。でも、「いったいなら」と「なら」をつける言い方はめずらしいのではないでしょうか。
このイスは、同じY市で外人の経営しているあるホテルへ納める品で、いったいなら、その本国から取り寄せるはずのを、わたしの雇われていた商館が運動して、日本にも舶来品に劣らぬイス職人がいるからというので、やっと注文をとったものでした。(「人間椅子」〔1925年発表〕p.8)
●おんもりと「おんもりと」は「こんもりと」ということで、奈良県の方言にあるそうです。しかし、全国的に読まれる文章の中に使われている例があるかどうかは知りません。
〔上略〕そっと背中をささえてくれる豊満なもたれ、デリケートな曲線を描いて、オンモリとふくれ上がった両側のひじ掛け、それらのすべてが、不思議な調和を保って、(「人間椅子」〔1925年発表〕p.8)
●ぎょくんとこれも耳慣れないオノマトペです。「ぎくんと」と「ごくんと」とが合わさったような感じでしょうか。辞書にはありません。ほかに使用例があるのでしょうか。
見ると、そこには、相手の奥村一郎所有の小型ピストルが光っていた。「おれが殺したんだ」ギョクンと、のどがつかえたような気がした。(「灰神楽」〔1926年発表〕p.106)
最後に、当時の風俗を感じさせる例をひとつ。
●何番、何番「ナンバン、ナンバン」は「何番、何番」で、電話交換手が「何番につなぎますか」と聞いているのです。それならば、そのようにていねいに言えばいいと思うのに、「何番、何番」とだけぶっきらぼうに言っていたのですね。こういう言い方は、いつごろから始まって、いつごろまで続いたのでしょうか。
平田氏はかんしゃくを起こしてこうどなりつけると、その声はだんだん小さくなって、ウ、ウ、ウ……と、すうっと遠くのほうへ消えていった。そして、「ナンバン、ナンバン、ナンバン」という電話交換手のかん高い声がそれに代わった。(「幽霊」〔1925年発表〕p.163)
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侍を「きれい」というのは、聞いたことがありませんでした。あってもおかしくない言い方です。今のところ、きれいな侍の出てくる話が思いつかないのですが……。注意して落語を聞いてみたいと思います。