辞書の用例を見ると、「めっきり寒くなる」「めっきり涼しくなる」「めっきり(気力が)衰える」「めっきり老ける・老け込む」の例を出すものが多くあります。ほかに、「やせる」「弱る」「見かけなくなる」などの語を使う用例もあります。一方で、「めっきり暑くなる」「めっきり太る」「めっきり多くなる」などという例は、辞書にはありません。
このあたりを、擬音語・擬態語の辞書ではどう説明しているでしょうか。『擬音語・擬態語辞典』(角川書店)では、
めきめき〔略〕は、進歩発展の状態の著しいようす。「めっきり」は成立した状態を捉えていう表現で、必ずしもよくなる場合だけではない。(p.329)と、悪くなる場合にも使うことを消極的に認めています。また、『暮らしのことば 擬音・擬態語辞典』(講談社)は、もう少しはっきりと、
〔上略〕現代では「寒くなる」「老ける」「減る」など、どちらかと言えば悪い状態になる場合に用いることが多くなってきている。(p.555)として、よくなることを示す「めきめき」と対比して記しています(小柳智一氏執筆)。
「悪い状態になる」といっても、「性格がめっきり悪くなる」「関係がめっきり悪くなる」とは言いにくいように思います。単に悪くなるのではなく、勢いが衰えるとき、数が少なくなるときなどに使う、と説明すべきではないでしょうか。
ところが、調べてみると、まれに、私の語感とは異なる例が出て来ます。
たとえば、山本有三「或る女」には、
七月に入ってから気候は滅切{めつき}り暑くなつた。椎の樹の古葉もすつかり{4字傍点}散り尽して、松も新しい緑に代つて、草も木も青い焔のやうになつた。(「或る女」〔1919年〕『現代日本文学全集21 有島武郎集』筑摩書房1954 p.186)とあります。「めっきり」といえば「寒くなる」「涼しくなる」しか出てこない辞書の用例とは正反対です。また、森茉莉の小説にも、
モイラが、まだ固いが、めっきり肉が附いて来た腕で、このハンドバッグをマッフの中へ一心に押しこんでいるのを脇から見ていると、下目遣いの目はとろんと溶けたようになっていて、脣は睡った赤子のように弛んでいる。(「甘い蜜の部屋」〔1975年〕『新潮現代文学62』新潮社1981 p.157)とあります。「めっきり肉が落ちた」ではなく「肉がついてきた」のです。
1978年のテレビのニュースでも、
こちらは、ガード下の屋台。このところ、〔円高で〕外人客の姿がめっきり増えました。(ビデオ「NHK THE NEWS」〔1978年〕NHKエンタープライズ)と言っています。「めっきり」といえば「減った」かと思ったら、こういう例もあるのです。
もともと、「めっきり」は、勢いが強まるか弱まるかや、数の増減にはこだわらずに使っていたようです。たとえば、「めっきりと油の相場あがりけり」(俳諧「住吉物語」〔1695年か〕の例。『日本国語大辞典』より)というように。それならば、別に上に挙げたような「めっきり暑くなる」「めっきり肉がつく」「客がめっきり増える」などの例もおかしくないわけです。
とはいえ、現代ではまれな用法になっていることも確かです。上掲の『暮らしのことば 擬音・擬態語辞典』にも、「現代では」と但し書きがあります。「昔はそうではなかった」という含みを持たせているのでしょう。この場合の「昔」は、二、三十年前か、戦前なのか、江戸時代なのか、分かりませんが。
ともあれ、現代では、「最近、あなたのお店には客が入っていますか?」と質問した場合、相手が「めっきりですよ」と言った場合、「めっきり減った」と解釈されるはずです。「めっきり増えた」と受け取る人は少数派でしょう。「めっきり」の語に、「勢いが衰える、数が少なくなる」という語感がついている証拠です。
追記
道浦俊彦さんの「平成ことば事情」に、「ことばの話928「めっきり」」があります。〈どちらかというと「マイナス評価の方向に、その変化が起きた場合に」使うのではないでしょうか〉〈マイナス評価ばかりではないなぁ。でも使われるケースは、最近マイナス方向の方がめっきり増えたと思う〉と述べておられます。(2006.02.24)