「すごく面白い」でなく「すごい面白い」、「おそろしく光る」でなく「おそろしい光る」というように、ふつうなら「〜く」の形で程度を表すところを「〜い」で表す語法があります。「すごい面白い」はことばの乱れだ、と言われますが、この語法は、少なくとも江戸時代からあって、「えらい」とか「きつい」とかいうことばにこの用法が見られます。
「東海道中膝栗毛」にも、このような用法をもつことばが出てきます。
上方「わしも毎年{まいとし}くだるものじやが、おゑどはきよとい{気疎}はんじやうなとこじやわいの。(三編下〔1804 文化元年〕岩波文庫 p.230)これは袋井の宿(遠江国)で道連れになった上方者のせりふです。「私も毎年江戸に行くが、お江戸は非常に繁華なところですね」というのです。ここに「きよとい」ということばが出て来ます。
「きよとい」はもともと「気疎(けうと)い」で、「いやだ」とか「恐ろしい」とかいう意味でしたが、ここでは単に「非常に」「たいへん」という、程度の意味を表しています。ふつうに考えれば「きよとく繁盛な所」と「〜く」で言いそうですが「きよとい繁盛な所」と「〜い」になっているのが、不規則です。まさしく「すごい面白い」の先祖にあたる言い方です。
今でも「気疎い」は、「きょーとい」「きょーてー」などの形で中国・近畿地方などで使われています。岡山県でも、「きょーてー厚かましい奴」(気疎い厚かましい奴)のように、「〜く」の形でなく「〜い」(なまって「〜え」)の形で使われています。そのことは「ぼっけえ、きょうてえ」で触れました。
また、「ついにない」ということばも、同じ用法で使われています。
弥次「コリヤみなさま御めんなせへ。とんだばんくるはせをいたしやした トついにないしよげかへりて、そこらとりかたづける。(四編下〔1805 文化2年〕岩波文庫 p.317)熱田から桑名への渡し船の中で、弥次郎兵衛がまあちょっと汚い失敗をやらかして、そのわびを言う場面です。「ついにない」は「これまでにない」ということです。あまりにもばかな話だったので、「これまでになくしょげかえって」というのです。「ついになく」と言えばいいところを、「ついにない」と、これも「〜い」の形で用いています。やはり、「すごい面白い」の先祖です。
ここは、地の文章なので、特別にどこかの方言というつもりで書いたのではなさそうです。「ついにないしょげかえる」は、江戸で通用することばだと考えていいのではないでしょうか。



