2006年02月14日

「膝栗毛」の古い言い回し

私は、本に書き込みをした場合、読み終わったらその書き込みをパソコンに入力して活用しようと心がけています。心がけるのはいいけれども、心にかけるだけで入力をサボる場合がしばしばあります。

岩波文庫の『東海道中膝栗毛』を読んでから、もう10年近く経ちます。読んだときにページに記した書き込みが200か所以上はあるはずですが、読了後、ずっとほったらかしでした。ようやく、今日、思い立って、上下巻のうち上巻の書き込みだけをパソコンのデータに転記しました。

これを眺めていると、いろいろと気づくことがあります。「膝栗毛」は、今の人が読んでもそれほど難しくない作品です。しかし、ずいぶん古い言い回しも出て来ます。たとえば、浜名湖畔にある新居宿の情景。
げにも来往{らいわう}の貴賤{きせん}絶間{たへま}なく、舟場{ふなば}へ急{いそ}ぐ旅{たび}人は、足{あし}もそらに出ふねをよばふ声{こへ}につれてはしり、(四編上〔1805 文化2年〕岩波文庫 p.257-258)
新居から対岸の舞阪に渡る舟に遅れまいと、旅人が夢中で走る様子を「足もそらに」と形容しています。足が空に浮くほど慌てるということです。

「足も(を)そらに」は、古代の文章に見えることばです。『日本国語大辞典』には、「落窪物語」「紫式部日記」「源氏物語」などの例が挙がっていて、一番新しい例でも「徒然草」(14世紀)のものです。「膝栗毛」はずっとあとの作品ですが、こういった古い表現を取り入れて使ったのでしょう。

また、「言はねど著(しる)し」(口には出さなくても明白である)という言い方が出て来ます。
名物はいはねどしるきこはめしやこれ重筥{ぢうばこ}のふた川の宿{しゆく}(四編上〔1805 文化2年〕岩波文庫 p.266)
これは、三河国・二川の宿で弥次郎兵衛が詠んだ狂歌です。「ここの名物は改めて言うまでもなく名高い強飯屋」だというのです。

この「言はねど著し」は、『日本国語大辞典』にも載っていないことばですが、熟した言い回しだと考えていいでしょう。古典の文章を調べてみると、
自{おのづ}から言{い}はねど、著{しる}く見え給ふらんとなむ思ふ(宇津保物語〔10世紀〕)

照る月波も、曇りなき池の鏡に、いはねどしるき秋のもなかは(増鏡〔14世紀〕)
などと出て来ます。ただし、「宇津保物語」の例は、本文に疑問もあります。

「膝栗毛」とほぼ同時代の作品にも「言はねど著し」は出て来ます。
云(ハ)ねどしるき其人品{じんびん}(神霊矢口渡〔1770初演の浄瑠璃〕)

いはねどしるき部屋{へや}がた風俗{ふうぞく}(浮世風呂〔1809-13刊〕)
といった具合。当時も、よく使われた表現だったのかもしれません。

古い言い回しというのとはちょっと違いますが、「膝栗毛」に出てくる方言が、古代の形をよく伝えている場合も多くあります。方言というのは、もともとそういうものですが。たとえば、「けけれ」(心)などという、「万葉集」に出てくる古いことばが使われています。
あにもがいにけゝれ{心}なく、雑言{ざうごん}ノウしめさるこたアござんないヤア(三編上〔1804 文化元年〕岩波文庫 p.195-196)
これは藤枝の宿(駿河国西部)で田舎のおやじが言うせりふです。「何もそのようにひどく心なく、暴言を使われることはないですよ」ということでしょう。『日本方言大辞典』(小学館)には、「けけれ」という語は載っていないので、今ではこの地方を含めて使われなくなったことばなのでしょう。

また、「たに」(ために)ということばも「万葉集」時代のことばですが、「膝栗毛」に出て来ます。
たんとのんでくれさつしやい。そんたアわしがたにやア命の親{おや}だ(三編上〔1804 文化元年〕岩波文庫 p.199)
「あなたは私のためには(私にとっては)恩人だ」というのです。この「たに」は、『日本方言大辞典』には和歌山県の例しか載っていません。今では勢力が縮小したと見えます。
posted by Yeemar at 23:00| Comment(2) | TrackBack(0) | 文学のことば | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
「けけれなく」に反応いたします。
これは、東国方言的であることを誇張したもの(東国人を示す役割語のようなもの)であろうと、認識してきました。
古今集の東歌や、実朝の歌に見えるのもそうではなかろうかと思っていました。

「けけれ」単独ではなく「けけれなく」で使われることが多そうなも、そう考えてきた理由の一つです。(実朝は「けけれあれや」ですが)

司馬遼太郎の小説で、「けけれなく」と言ってしまって、「しまった」と思う登場人物が居たのですが、まだ見つけていません。『義経』の義仲かと思ったのですが、先日ぱらぱら見たときには見つけられませんでした。
Posted by 岡島昭浩 at 2006年02月15日 10:43
「けけれ」はバーチャルな(虚構とはいわないまでも誇張された)方言かもしれないということですね。「膝栗毛」の方言が事実そのままという思い込みに陥らないようにしなければと思います。

「けけれなく」は「物類称呼」に「こゝろなくと云を 甲斐国にて○けゝれなくと云」とあるので、少なくとも虚構の方言ではなかったのでしょう。上に挙げた「田舎のおやじ」は「わしもハイ、此近在の永田村じやア、名のしやくも勤た家筋だんで」とあり、藤枝の地元民だと思われます。この地は、十返舎一九の出身地からほど近いはずなので、おやじの方言はある程度信頼できると思いました。

ただ、この人の話すことばは、「雑言ノウ←雑言を」のように助詞「を」が連声を起こしており、これは当地の方言なのだろうか、それとも違うのだろうか、と思います。「西洋道中膝栗毛」初編に出てくる「田舎いしやの書生」は「披見のウ致イて(披見を致して)」などと助詞「を」を「のウ」と言っていて、この書生の場合はバーチャル方言のような気がします。

司馬遼太郎の小説については存じませんでした。
Posted by Yeemar at 2006年02月15日 15:32
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