岩波文庫の『東海道中膝栗毛』を読んでから、もう10年近く経ちます。読んだときにページに記した書き込みが200か所以上はあるはずですが、読了後、ずっとほったらかしでした。ようやく、今日、思い立って、上下巻のうち上巻の書き込みだけをパソコンのデータに転記しました。
これを眺めていると、いろいろと気づくことがあります。「膝栗毛」は、今の人が読んでもそれほど難しくない作品です。しかし、ずいぶん古い言い回しも出て来ます。たとえば、浜名湖畔にある新居宿の情景。
げにも来往{らいわう}の貴賤{きせん}絶間{たへま}なく、舟場{ふなば}へ急{いそ}ぐ旅{たび}人は、足{あし}もそらに出ふねをよばふ声{こへ}につれてはしり、(四編上〔1805 文化2年〕岩波文庫 p.257-258)新居から対岸の舞阪に渡る舟に遅れまいと、旅人が夢中で走る様子を「足もそらに」と形容しています。足が空に浮くほど慌てるということです。
「足も(を)そらに」は、古代の文章に見えることばです。『日本国語大辞典』には、「落窪物語」「紫式部日記」「源氏物語」などの例が挙がっていて、一番新しい例でも「徒然草」(14世紀)のものです。「膝栗毛」はずっとあとの作品ですが、こういった古い表現を取り入れて使ったのでしょう。
また、「言はねど著(しる)し」(口には出さなくても明白である)という言い方が出て来ます。
名物はいはねどしるきこはめしやこれ重筥{ぢうばこ}のふた川の宿{しゆく}(四編上〔1805 文化2年〕岩波文庫 p.266)これは、三河国・二川の宿で弥次郎兵衛が詠んだ狂歌です。「ここの名物は改めて言うまでもなく名高い強飯屋」だというのです。
この「言はねど著し」は、『日本国語大辞典』にも載っていないことばですが、熟した言い回しだと考えていいでしょう。古典の文章を調べてみると、
自{おのづ}から言{い}はねど、著{しる}く見え給ふらんとなむ思ふ(宇津保物語〔10世紀〕)などと出て来ます。ただし、「宇津保物語」の例は、本文に疑問もあります。
照る月波も、曇りなき池の鏡に、いはねどしるき秋のもなかは(増鏡〔14世紀〕)
「膝栗毛」とほぼ同時代の作品にも「言はねど著し」は出て来ます。
云(ハ)ねどしるき其人品{じんびん}(神霊矢口渡〔1770初演の浄瑠璃〕)といった具合。当時も、よく使われた表現だったのかもしれません。
いはねどしるき部屋{へや}がた風俗{ふうぞく}(浮世風呂〔1809-13刊〕)
古い言い回しというのとはちょっと違いますが、「膝栗毛」に出てくる方言が、古代の形をよく伝えている場合も多くあります。方言というのは、もともとそういうものですが。たとえば、「けけれ」(心)などという、「万葉集」に出てくる古いことばが使われています。
あにもがいにけゝれ{心}なく、雑言{ざうごん}ノウしめさるこたアござんないヤア(三編上〔1804 文化元年〕岩波文庫 p.195-196)これは藤枝の宿(駿河国西部)で田舎のおやじが言うせりふです。「何もそのようにひどく心なく、暴言を使われることはないですよ」ということでしょう。『日本方言大辞典』(小学館)には、「けけれ」という語は載っていないので、今ではこの地方を含めて使われなくなったことばなのでしょう。
また、「たに」(ために)ということばも「万葉集」時代のことばですが、「膝栗毛」に出て来ます。
たんとのんでくれさつしやい。そんたアわしがたにやア命の親{おや}だ(三編上〔1804 文化元年〕岩波文庫 p.199)「あなたは私のためには(私にとっては)恩人だ」というのです。この「たに」は、『日本方言大辞典』には和歌山県の例しか載っていません。今では勢力が縮小したと見えます。
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これは、東国方言的であることを誇張したもの(東国人を示す役割語のようなもの)であろうと、認識してきました。
古今集の東歌や、実朝の歌に見えるのもそうではなかろうかと思っていました。
「けけれ」単独ではなく「けけれなく」で使われることが多そうなも、そう考えてきた理由の一つです。(実朝は「けけれあれや」ですが)
司馬遼太郎の小説で、「けけれなく」と言ってしまって、「しまった」と思う登場人物が居たのですが、まだ見つけていません。『義経』の義仲かと思ったのですが、先日ぱらぱら見たときには見つけられませんでした。
「けけれなく」は「物類称呼」に「こゝろなくと云を 甲斐国にて○けゝれなくと云」とあるので、少なくとも虚構の方言ではなかったのでしょう。上に挙げた「田舎のおやじ」は「わしもハイ、此近在の永田村じやア、名のしやくも勤た家筋だんで」とあり、藤枝の地元民だと思われます。この地は、十返舎一九の出身地からほど近いはずなので、おやじの方言はある程度信頼できると思いました。
ただ、この人の話すことばは、「雑言ノウ←雑言を」のように助詞「を」が連声を起こしており、これは当地の方言なのだろうか、それとも違うのだろうか、と思います。「西洋道中膝栗毛」初編に出てくる「田舎いしやの書生」は「披見のウ致イて(披見を致して)」などと助詞「を」を「のウ」と言っていて、この書生の場合はバーチャル方言のような気がします。
司馬遼太郎の小説については存じませんでした。