2006年02月11日

近現代の「なやましい」

「なやましい」の新?用法」に続くものです。

「なやましい」は、「悩ましい寝乱れ姿」のような「官能を刺激する」という意味が本来であったわけではなく、古代には「思いわずらう気持ちである」または「気分が悪い」という意味で使われていました。現在も後者の意味で「悩ましい問題だ」というように使われています。さて、この用法は「古語の復活用法」なのか、「べつに『復活』ではなく、歴史的に途切れず続いてきた用法」なのか、これが問題です。

雑誌「言語生活」1956.02 p.68(「目」欄)に「なやましい問題」の用法を批判的に紹介する記事があります。最近では、作家の小林信彦氏が「週刊文春」誌上の連載で、「頭を悩ませる」の意味で使うことを批判的に取り上げています(複数回指摘しているはず。今、探し出せません)。

古語の復活用法とする説は、見坊豪紀『ことばの海をゆく』(朝日選書 1976)です。p.150に「古語の復活的用法として有名なものに「悩ましい」があります」とあります(「有名」というほど指摘されているとは思われませんが)。

「復活用法」と「持続している用法」との両論を併記するものは、「朝日新聞」日曜版 1997.01.26 p.3「日本語よ・41」(倉持保男)。また、「朝日新聞」2004.08.22 p.14「ことばの交差点・悩ましい」も両論併記です。

「なやましい」を「思いわずらう」「頭を悩ませる」の意味で使うのが「古語の復活用法」であるなら、近代の一時期にこの用法が途切れた時期があるはずです。しかし、この用法にはいろんな書物の中で遭遇し、「どうも途切れていないのではないか」というのが私の考えです。

まず、1960年代・1950年代の例を1つずつ挙げます。
「楽園追放か……」今度は長官が悩ましげにいった。「では、天≠ヘなんのために、われわれをそんなひどい目にあわせたんだろう? なんのために、この世におけるわれわれの生を十二年ときめられ、それ以上の成長をこばまれたのだろう?」(小松左京「お召し」〔1964.01発表〕『召集令状』角川文庫 1995.05.25初版 p.225)

「理論的です。」と主幹が悩ましげに、「居ないものを攻撃するなんて出来やせんじゃないか。」と隊長が勝誇ったように、「現代の経済が超空間的であることの具体化ですな。」と役人がいかにも当り前のように言った。(安部公房「鉄砲屋」〔1952.10発表〕『水中都市・デンドロカカリヤ』新潮文庫 p.238)
また、1940年代の例は、CD-ROM「新潮文庫の100冊」の小林秀雄「モオツァルト・無常という事」の中に見出だせます。
又、それは青年将軍の責任と自負とに揺れ動く悩ましい心を象ってもいるのであって、真実だが、決して素朴な調ではないのである。(小林秀雄「実朝」〔1943年発表〕)
1930年代の例はまだ知りません。ちょっと飛ぶのですが、1920年代の例は島崎藤村の作品から見つけました。
父さんはそれだけのことを言ひにくさうに言つて、また自分の部屋の方へ戻つて行つた。こんな悩ましい、言ふに言はれぬ一日を袖子は床の上に送つた。(島崎藤村「伸び支度」〔1925.01発表〕「新潮名作選 百年の文学」p.30)
この時期以前のものは、国立国語研究所「太陽コーパス」(雑誌「太陽」の記事データベース)でたくさん出てきます。私は1925年、1917年、1909年、1895年の例を拾っています。

また、文芸作品からは、室生犀星・尾崎紅葉の例を挙げることができます。
私は「いまから姉はどうして晩までくらすのだろう。何かおもしろいことでもあるのだろうか。」などと考えていた。家にいるときよりいくらかやせたのも私にはよく感じられた。私は嫁というものは単に生活を食事のほうにのみ勤むべきものであろうかなどと、悩ましく考え歩いていた。(室生犀星「幼年時代」〔1919年発表〕『或る少女の死まで 他二篇』岩波文庫 p.62-63)

 柳之助は肩を窄{すぼ}めて、その得{え}もいわれぬ苦悶{くるしみ}を面{おもて}に顕した。それでお種の疑{うたがい}も大方釈{と}けて、決して悪い了簡などのある人ではないと思うほど、見る通り悩ましげにしているのが一入{ひとしお}気の毒で、何とか助けたいにも手の着けようがなさに当惑して、(尾崎紅葉『多情多恨』〔1896年発表〕岩波文庫 1939年第1刷 2003年改版第1刷 2003.11.14第2刷 p.378)
これで、わずかずつではあるけれど、1890年代までの例を得ることはできました。まだ例が多いとは言えないし、また、1880年代以前はどうか、ということも気になります。もう少し例を集めてみようと思います。
posted by Yeemar at 11:07| Comment(2) | TrackBack(0) | 語彙一般 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
はじめて読ませていただき,ずうずうしくコメントまで書きます。日本語教師です。この「悩ましい」は最近気になっていました。テレビなどで頻繁に「新しい」使い方になったと感じていたところ,同僚の60代と思われる先生が「迷う,決めかねる,迷うことだ」の意味として使っていて,??と思ったものですから。
いろいろ調べていらっしゃるのを読み,『復活』というほどこの用法が消えていたのではないことを知りました。それと同時に,先ほどの同僚が発言するたびに,??とひっかかっていたのを止められることがわかり,ほっとしています。ありがとうございました。
これからときどき遊びにきます。今後ともよろしくお願いいたします。
Posted by 堀恵子 at 2006年12月24日 11:50
私も、この問題には疑問を持っていました。我々の時代の常識では、もっと
「艶めかしい」雰囲気の問題と理解していました。初めてこの言葉を聞いた
時は、奇異な感じを受けました。NHKや、有識者といわれる方々が使って
いるので、初めて知識に加えました。言葉はあまり変えないで欲しいと思います。言葉は人間の符牒ですから、非常に困ります。
Posted by 廣瀬元彦 at 2009年10月20日 15:56
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