社説では、「日本橋の貧弱な姿は高度成長が残した負の遺産」と認めた上で、
4人のお歴々には注文がある。首都の未来像を真正面から論じ、人気取り政策のお先棒をかつぐのはくれぐれも慎んでもらいたい。と結んでいます。
この部分は典型的な悪文です。これでは「首都の未来像を真正面から論じるのは慎んでもらいたい」と言っているように読みとれます。
日本語の文には、誤解を招きやすい文型がいくつかあります。その1つが、「2つのことがらの後に否定表現を置く場合」です。「Aで、Bでない」とか、「Aし、Bすべきでない」とかいう書き方をすると、Bだけが否定されているのか、AとBとがともに否定されているのかが分からなくなります。
この社説では、「首都の未来像を真正面から論じること」がAで、「人気取り政策のお先棒をかつぐこと」がBにあたります。そして、「くれぐれも慎んでもらいたい」と否定(広い意味で)しているのは後者Bについてだけですから、それが分かるように書かなければなりません。
いちばんいい方法は、文を切ってしまう書き方です。
「首都の未来像を真正面から論じてほしい。人気取り政策のお先棒をかつぐのはくれぐれも慎んでもらいたい」
というように。あるいは、
「人気取り政策のお先棒をかつぐのはくれぐれも慎み、首都の未来像を真正面から論じてもらいたい」
と否定を前に持ってくるのでもいいでしょう。文も切らず、順番も入れ替えないとすれば、たとえば、
「首都の未来像を真正面から論じ、万が一にも人気取り政策のお先棒をかつぐことがないように気をつけてもらいたい」
のように、「万が一にも」「決して」など、間に副詞(句)を入れて分かりやすくすべきでしょう。
上の例とは逆に、A・Bをまとめて否定しているのに、それが分かりにくいこともあります。たとえば次のような場合です。
太田〔英昭(フジテレビ生活情報局長)〕 フジテレビの場合、ワイドショーの放送時間は減っているし、中身もド派手で視聴率至上主義でないと言い切れます。(「毎日新聞」1999.08.03 p.25)これを読むと、「フジテレビのワイドショーは、中身がド派手ではあるが、視聴率至上主義でない」ということかと、一瞬、思います。両方を否定するならば、「ド派手ではないし、視聴率至上主義でもない」と、いちいち否定の語を入れておくのが、読者にとっては親切でしょう。
「よく読めば分かるだろう」と、読者の読解の労力をあてにするのはやめるべきです。
(関連文章=「夕べを待つカゲロウ」「カゲロウ、その後」)
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