この言い方が悪かったのです。先方の気分をひどく害したようでした。「あなたは、私の言ったのが唯一の解決策ではないと思うのか? そのように、何にでも反対しては結論が出ないではないか。それならば、対案を出されたし」と、たいへんな剣幕です。
私の発言の中の「かな」ということばが誤解されたんですね。「かな」は、疑いの意味を表します。そこで、先方は、私が「それは唯一の解決策であろうか、いや、ない」と反対意見を持っていると受け取ったのです。
こちらのつもりとしては、反対しようなどとは思っていませんでした。「それが唯一の解決策なのかな、と思います」は、ほとんど「それが唯一の解決策だろうと思います」と同じ意味でした。「かな」は、相手への疑いを表すこともありますが、単なる婉曲表現としても使われます。
私は、不用意に「かな」を使うと、人との間に摩擦を生じることを学びました。以来、「かな」の使用には慎重になりました。人が「かな」を口癖のように使っているのを聞くたびに、なんだかはらはらしています。
実際、多くの人が「○○かな、と思います」というのを口癖にしています。「ホームヘルパーの仕事上のトラブルを避けるにはどうしたらいいか」について、コメントを求められた人が次のように答えていました。
安全・安心な介護を提供するためには、あのー、まあ、なんてんでしょうね、ヘルパーさんの職務にして、そこで研修をしていくことが必要なのかなと思います。(NHK「ニュースおはよう日本」2004.09.26 7:00)この人は、研修が必要だと思っているのか、必要でないと思っているのか。コメントの形式をみると、「安全・安心な介護を提供するためには」と話し始めているので、当然、その後には「○○が必要です」という答えが用意されているはずです。「研修をしていくことが必要」という発言がその答えにあたるということは、文脈から明らかです。しかし、ことば尻を捉えようと思えば捉えられるでしょう。
次の例はどうでしょうか。ある市の教育長が、子どもを犯罪から守る方法について語っていました。
具体的に、これが足りなかったっていう、それをなかなか見つけることができない。〔VTR省略あり〕地域全体で、ま、見守ること、それが本当に足りないのかな、と思ってしまいますね。(NHK「クローズアップ現代・子どもの命を守るために」2005.12.08 19:30)テレビでは、発言が編集されているのが困りますが、前後の脈絡や表情などから、教育長の意図は明らかです。「地域全体で子どもを見守ることが、本当に足りない」と主張しているのです。しかし、ここの部分だけを捉えれば、「地域全体で子どもを見守ることが足りないだろうか、いや、これまで十分見守ってきている」と主張しているようにも受け取られかねません。
相手も日本語を解する人ならば、ふつうは、文脈などから真意を読み取ってくれるでしょう。しかし、そうでない場合もあります。いちばんいいのは、不必要な「かな」を使わないことです。
「かな」が癖になっている人は、何でも使ってしまいます。自分の感情について使うこともあります。
〔キツネザルの〕2番目の子が今、巣箱から顔を出して、あのー、見てても親子で可愛いシーンが見られると思いますのでね、ぜひとも、あのご覧なっていただけたらありがたいかなと思います。(NHK「ニュース7」2005.06.04 19:00)これは、動物園の飼育係の発言です。キツネザルをたくさんの人が見に来てくれれば、彼としてはありがたいに決まっているのに、つい「ありがたいかな」と「かな」をつけています。
自分の感情にもかかわらず、「うれしいかな」「こわいかな」と言っている人はよくいます。聞き耳を立ててみてください。
「…かな、と思います」に違和感を抱いておりました。どなたかそれに言及されていないかとgoogleで検索してこのブログにやってきました。
2006年に既にこのような指摘があったとは!
驚くとともに、溜飲が下がる思いです。
例がきちんと出典付きで示されているのもすばらしいですね。
自分の感情や意見に「…かな」とつけて曖昧にするのはやめよう!と改めて思いました。
他のページも興味深いタイトルが並んでいるので、これから見せていただきますね。