2006年01月25日

かな、と思います

もう昔の話ですが、ある問題への解決策を示した人が、私に意見を求めました。私は、賛成の意を表そうとして、「それが唯一の解決策なのかな、と思います」と答えました。

この言い方が悪かったのです。先方の気分をひどく害したようでした。「あなたは、私の言ったのが唯一の解決策ではないと思うのか? そのように、何にでも反対しては結論が出ないではないか。それならば、対案を出されたし」と、たいへんな剣幕です。

私の発言の中の「かな」ということばが誤解されたんですね。「かな」は、疑いの意味を表します。そこで、先方は、私が「それは唯一の解決策であろうか、いや、ない」と反対意見を持っていると受け取ったのです。

こちらのつもりとしては、反対しようなどとは思っていませんでした。「それが唯一の解決策なのかな、と思います」は、ほとんど「それが唯一の解決策だろうと思います」と同じ意味でした。「かな」は、相手への疑いを表すこともありますが、単なる婉曲表現としても使われます。

私は、不用意に「かな」を使うと、人との間に摩擦を生じることを学びました。以来、「かな」の使用には慎重になりました。人が「かな」を口癖のように使っているのを聞くたびに、なんだかはらはらしています。

実際、多くの人が「○○かな、と思います」というのを口癖にしています。「ホームヘルパーの仕事上のトラブルを避けるにはどうしたらいいか」について、コメントを求められた人が次のように答えていました。
安全・安心な介護を提供するためには、あのー、まあ、なんてんでしょうね、ヘルパーさんの職務にして、そこで研修をしていくことが必要なのかなと思います。(NHK「ニュースおはよう日本」2004.09.26 7:00)
この人は、研修が必要だと思っているのか、必要でないと思っているのか。コメントの形式をみると、「安全・安心な介護を提供するためには」と話し始めているので、当然、その後には「○○が必要です」という答えが用意されているはずです。「研修をしていくことが必要」という発言がその答えにあたるということは、文脈から明らかです。しかし、ことば尻を捉えようと思えば捉えられるでしょう。

次の例はどうでしょうか。ある市の教育長が、子どもを犯罪から守る方法について語っていました。
具体的に、これが足りなかったっていう、それをなかなか見つけることができない。〔VTR省略あり〕地域全体で、ま、見守ること、それが本当に足りないのかな、と思ってしまいますね。(NHK「クローズアップ現代・子どもの命を守るために」2005.12.08 19:30)
テレビでは、発言が編集されているのが困りますが、前後の脈絡や表情などから、教育長の意図は明らかです。「地域全体で子どもを見守ることが、本当に足りない」と主張しているのです。しかし、ここの部分だけを捉えれば、「地域全体で子どもを見守ることが足りないだろうか、いや、これまで十分見守ってきている」と主張しているようにも受け取られかねません。

相手も日本語を解する人ならば、ふつうは、文脈などから真意を読み取ってくれるでしょう。しかし、そうでない場合もあります。いちばんいいのは、不必要な「かな」を使わないことです。

「かな」が癖になっている人は、何でも使ってしまいます。自分の感情について使うこともあります。
〔キツネザルの〕2番目の子が今、巣箱から顔を出して、あのー、見てても親子で可愛いシーンが見られると思いますのでね、ぜひとも、あのご覧なっていただけたらありがたいかなと思います。(NHK「ニュース7」2005.06.04 19:00)
これは、動物園の飼育係の発言です。キツネザルをたくさんの人が見に来てくれれば、彼としてはありがたいに決まっているのに、つい「ありがたいかな」と「かな」をつけています。

自分の感情にもかかわらず、「うれしいかな」「こわいかな」と言っている人はよくいます。聞き耳を立ててみてください。
posted by Yeemar at 22:04| Comment(2) | TrackBack(0) | 文法一般 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント

「…かな、と思います」に違和感を抱いておりました。どなたかそれに言及されていないかとgoogleで検索してこのブログにやってきました。
2006年に既にこのような指摘があったとは!
驚くとともに、溜飲が下がる思いです。
例がきちんと出典付きで示されているのもすばらしいですね。

自分の感情や意見に「…かな」とつけて曖昧にするのはやめよう!と改めて思いました。

他のページも興味深いタイトルが並んでいるので、これから見せていただきますね。

Posted by お杉 at 2008年05月05日 21:39
ありがとうございます。今読み返してみると、冒頭のエピソードに出て来る「先方」さんは、もう少し人の発言の真意を確かめる努力をしてほしかったと改めて思います。しかし、これは愚痴でしょう。「ことばを話せば、そこに何かしら誤解の芽がある」というのが私の確信です。無用の誤解を招かないように、発言する側も注意しなければなりませんね。ほかの記事もどうぞご覧ください。
Posted by Yeemar at 2008年05月06日 00:39
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