たとえば、東京駅の東海道山陽新幹線駅構内のトイレに「Toilets」「REST ROOMS」と書いてあるのはいけないと、ある学者が週刊誌で指摘したことがあります。その文章は、駅長への公開質問状でした。
(1)Toiletsは英国式で、REST ROOMSは米国式です。統一した方がスッキリしませんか。(2)2語のREST ROOMSは、実は、間違いです。現実のアメリカ社会では、どこを見渡してもRESTROOMSと1語で使っているからです。(「サンデー毎日」1999.10.03 p.126)「Toilets」が英国式で、1語の「RESTROOMS」が米国式ならば、「REST ROOMS」は、つまり日本式でしょう。国によって書き方が違うだけの話ではないか、と私は思いました。「看板を付け替えろ」と言わんばかりに論難するのは厳しすぎます。しかしまあ、英語の本場はたしかにイギリス、アメリカであるし、こういう主張もありうるだろうという程度には理解できます。
また、こういうのもあります。
エレベーターを降りる時、日本人はなぜ前に人がいるだけで「すみません」と謝るのか外国人にはよく分からない。(朝日新聞 1993.10.22)この例は、「日本語特殊論」といわれる論じ方の1つでしょう。外国人がどう思おうと、日本語には日本語の発想があります。この場合の「すみません」だって、謝っているのではないのです。その証拠に、謝る時(感謝する時)の「すみません」には「どうもすみません」と「どうも」をつけることができますが、道をあけてもらいたい時には「どうもすみません」とは言いません。外国人に分からないのではなく、記事の書き手が日本語の発想を分かっていないのです。
こういう「アメリカでは」「外国では」という論法を、「ではの守(かみ)」と言ってからかう向きもあります。「ではの守」がすべて悪いわけはありませんが、中に首をかしげざるをえないものも多いのです。
しばらく、そのような例の収集を怠けていましたが、最近――といっても、もう1年近く前の週刊誌を整理していたら、久しぶりに興味を引かれる例に出会いました。対談で、ある女性がアメリカの映画俳優に対し、次のように話していました。
この映画では、夫婦で一緒にパーティーに参加しますよね。ここも日本とは全然違うし。日本の奥さんは、パーティーに旦那さんを送り出して、自分は家でお留守番なんです。これに対して、アメリカの映画俳優は
エッ、それは奥さんに失礼ですね。パーティーに連れていかないのは妻に対する侮辱です。アメリカではあり得ません。(「週刊朝日」2005.05.06-13 p.54)と答えました。
ちょっと、この俳優のせりふは失礼じゃないかと思います。日本人にもいろいろな夫婦がいて、妻が「私もパーティに行きたい」と思っているのに、夫がそれを察してやらないというような事例もあるでしょう。しかし、夫が友だちと集まって飲んでいる席に、自分は行きたくないと思う妻もいるのではないでしょうか。それを等しなみに「妻に対する侮辱です」というのは乱暴です。
乱暴であるだけではなく、「アメリカではあり得ません」と言っているということは、「アメリカでは妻を大事にするが、日本では妻を侮辱している」と言っているのと同じです。相手からちょっと聞いただけの話に対する論評としては、行き過ぎでしょう。
もっとも、この映画俳優の発言は、インタビュアーの女性によって引き出されたものです。インタビュアーは、アメリカの映画俳優の口を借りて、日本人(の男性)にひとこと言いたかったのでしょうね。これも、「ではの守」の手法の1つでしょう。
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トイレの表記については、日本人が自分たちの税金で作るのですから、まずは日本人のために日本語で表記すべきかと思います。そしてその下に、国際標準語としての英語で併記をすれば、十分ではないでしょうか。その際の英米表記選択は、特段統一する必要も無いでしょう。表現の多様性を学ぶ良い材料にもなりそうですし。ただ、間違った英語を"日本独自のもの"とするのではなく、やはりネイティブの正規表現を尊重すべきではないでしょうか。
長文になってしまいすみません。
トイレの話ですが、実際、東京駅でどう表示しているのか、一度観察してみようと思います。新幹線に乗るときは、たいていプラットフォームに直行するので、落ち着いてみたことがありません。今ならば、ハングル・中国語なども併記していてよいと思います。「RESTROOMS」とだけあるとすれば、カッコつけすぎでしょう。
上の文章で、「REST ROOMS」は日本式だからこれでよい、という調子で書いたのは、やや開き直りの気味がありました。