2006年01月03日

なぞの看護婦

夏目漱石の「行人」に不可解な看護婦が登場します。といっても、文章の書き方のせいで、読んでいる私が一瞬迷ってしまうというだけのことなのですが……。こういうものも、やはり悪文の例に数えていいだろうと思います。

主人公は、友人の三沢を見舞いに病院に行きます。そこで、三沢が「あの女」と呼ぶ別室の入院患者のことが話題になります。主人公は、「あの女」に関心を抱き始めます。そこに次のような記述があります。
「あの女」は室の前を通っても廊下からは顔の見えない位置に寐ていた。看護婦は入口の柱の傍へ寄って覗{のぞ}き込{こむ}ようにすれば見えると云って自分に教えて呉れたけれども自分にはそれを敢てする程の勇気がなかった。
 附添{つきそい}の看護婦は暑いせいか大概はその柱にもたれて外の方ばかり見ていた。それが又看護婦としては特別器量が好いので、三沢は時々不平な顔をして人を馬鹿にしているなどと云った。(友達 二十二〔新潮文庫2005.01.20 95刷 p.51〕)
ここに出てくる看護婦は、いったいどういう性格なのか、よく分かりません。「あの女」に興味を持つ主人公に「部屋を覗き込むようにすれば彼女の顔が見えますよ」と協力的な様子を見せるかと思うと、そのすぐ後では、なんだか素知らぬふりで、窓の外をながめているというのです。

注意して読めば、正解はどういうことか、すぐに分かります。要するに、看護婦が2人いるんですね。1人は友人三沢の病室に来る看護婦で、もう1人は「あの女」の病室につきっきりで看病している看護婦です。ちなみに、三沢の看護婦は不器量で、「あの女」の看護婦は器量良しです。

数行後まで読めば、複数の看護婦がいることは理解されるようになっています。しかし、できるなら、後を読まなくても分かるように書いておくべきでしょう。女性が複数出て来る場面で「彼女」という代名詞を使うと分かりにくくなる、という話は「彼女はどちら」で述べましたが、それと似た問題を含む文章です。

この場合、「三沢の部屋に来る看護婦」「あの女に附き添う看護婦」と明示的に書けば、誤解の余地はありません。とはいえ、これは小説ですから、あまりくだくだしく書くわけにはいかないのも事実です。そこで漱石は、「あの女に附き添う看護婦」にのみ「附添の」という形容をつけて区別したのでしょう。でも、それでは不十分です。

それならば、どうすればいいか。自分が作者になったつもりでいろいろ考えてみるのは楽しいことです。私は、それぞれ単純に「三沢の看護婦」「あの女の看護婦」でもいいではないかと思いますが、どうでしょうか。
posted by Yeemar at 20:54| Comment(0) | TrackBack(0) | 表現・文章一般 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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