「じっ」と読むのは、宮田輝さん(故人)、末田正雄さん、杉浦圭子さん、真下貴さん。一方、「じゅっ」と読むのは、加賀美幸子さん、徳田章さん、畠山智之さん、上田早苗さん、武田真一さん、藤井克典さん、山本志保さん。「じゅっ」のほうが多数派になっているようです。
「十銭」「十本」は、本来、「じっせん」「じっぽん」と読むのが正しかった、というのはまず間違いないでしょう。「十」の音はむかし「ジフ」だった。この「ジフ」が、一方では長音化して今の「ジュウ」になった。一方では促音化して「ジッ」になった。「ジュッ」というのは、誤りとは言わないとしても、少なくとも「ジュウ」「ジッ」両方を混ぜた言い方と考えなければならない。
この類例を上げるなら、たとえば「入」の字がそうです。この字の音は、むかしは「ニフ」だったのが、一方では長音化して「ニュウ」、一方では促音化して「ニッ」と読まれるようになった。そこで「入室」は、ふつうは「にゅうしつ」と読むけれども、禅では「にっしつ」と読みます。しかし、両者を混ぜた「にゅっしつ」という言い方はしません。
さて、以上のように、歴史的な観点からは「ジフ」が「ジッ」になったことは疑いの余地がないようにみえます。ところが、「『十銭』を『じっせん』と言うのは東京弁の訛りでで、『じゅっせん』が本来だ」と考える人があります。「新宿」を「しんじゅく」ではなく「しんじく」と訛るようなものだというのです。
高島俊男氏によれば、最近では、北海道大学および富山大学の言語学者がこの「『ジッ』は『ジュッ』の訛りだ」という説を唱えているそうです(『お言葉ですが…9 芭蕉のガールフレンド』p.267以下)。高島氏は「頼りないやつ」「アテズッポウを言う前になぜ調べてみないか」と批判しますが、両氏に限らず、「『ジッ』は『ジュッ』の訛り」と唱える人はかなり昔からありました。
ここに『ことばの研究室』なる古い本があります。NHKラジオで戦後に放送された同名の番組をまとめたものですが、その第4巻(1954年刊行)に、生井さんという学生と言語学者・熊沢龍氏の問答が載っています。
生井 新宿はシンジクですかシンジュクですか。熊沢氏は、本来は「じゅっせん」で、「じっせん」は東京での訛りだと考えています。
熊沢 シンジクですね。漢字の音に忠実ならシンジュクでしょうが。東京では誰もシンジュクと言いませんよ。十銭もジッセンで、ジュッセンと発音していませんね。元来拗音の子音そのものが半母音のイという音の要素を含んでいるので、シュやジュはシやジと発音され易いのです。(p.42)
このほかにも「『ジッ』は『ジュッ』の訛り」という意見が載っている文献を知っています。「識者」といわれ、「学者」といわれる多くの人々が、なぜ漢字音の常識に合わない説を唱えるのか、その理由には興味がわきます。
「十」だけ「ジュッ」という発音が生まれたのは、文法的な交替形だからでしょう。「入」を「ニュウ」と読むか「ニッ」と読むかは語彙の問題で、それぞれの語を独立に憶えるだけですが、助数詞の前の「十」の促音便は「一」(イチ/イッ)、「八」(ハチ/ハッ)と同じ交替であり、それらからの類推および変化を小さくしたいという欲求から「ジュッ」が生まれたのでしょう。いつどこで生まれたのかは分かりませんが、明治以降のように思います。飯間さんはご存じでしょうか。