2006年01月01日

話を始めるには手間がかかる

「ちょっと話があるんですが、よろしいですか」「なんですか」「じつは……」と話が始まれば、ものごとは簡単に片が付きます。しかし、実際には、そう何でも簡単に行かないのが世の中というものです。

夏目漱石「それから」の中で、主人公代助が兄に借金を頼む場面があります。代助は、友人の妻である三千代が金に困っていることを知り、助けてやろうとしたのです。といっても、「兄さん、金を貸してください」「そうか」というようには話は進みません。

代助は、園遊会で会った兄に次のように話しかけます。
「兄さん、貴方{あなた}に少し話があるんだが。何時{いつ}か暇はありませんか」
「暇」と繰り返した誠吾は、何にも説明せずに笑って見せた。
「明日{あした}の朝はどうです」
「明日の朝は浜まで行って来なくっちゃならない」(新潮文庫 1980.05.15 65刷 p.66)
としばらく問答があって、結局今晩にしようじゃないかと相談がまとまります。話の内容に入る以前に、まず「話をいつするか」が問題になります。

さて、兄弟はうなぎ屋に入って酒を飲み出します。
兄は飲んで、食って、世間話をすればその外に用はないと云う態度であった。代助も、うっかりすると、肝心の事件を忘れそうな勢であった。が下女が三本目の銚子を置いて行った時に、初めて用談に取り掛かった。(p.67)
このように、用談に取りかかるまでにはお銚子を2本は空にしなければなりません。うなぎ屋に入ってすぐ話に入るわけでもないのです。

留学生から、日本人は率直にものを言わない、言わずに相手に察してもらおうとする、という意見をもらったことがあります。むろん、人によりけりでしょうが、国民性としてそういう傾きはあるのかもしれません。そして、いざ率直にものを言おうとしても、そこに至る手続きに時間がかかります。まず特別な席を設けて、そこでしばらく雑談をしてから、用件に入るのです〔追記参照〕。

もっと極端な場合もあります。人に話をしたいとき、「話があります」とは言わず、たとえば「ゴルフに行きませんか」などと誘うことがあります。そして、思いっきりゴルフで汗をかいた後、「きょうは疲れましたな。どうです、そのへんで一杯」と酒の席に誘い、さんざん関係のない話をした挙げ句に、ころ合いを見て「じつは」と始める……。話を始めるまでに、ほぼ1日を費やすわけですが、めずらしいことではないでしょう。

このように説明すると、留学生は驚いていましたが、外国ではこのような話の切り出し方はまったくないのでしょうか。結婚の申し込みをするとき、まず映画に誘って1日を過ごしてから、帰りの喫茶店でおずおずと切り出す、ということは、日本人だけに限らないような気がしますが……

相手に相談があることをにおわせてから、実際に話を始めるまで、むやみに時間がかかるという小説は、ほかにどういうものがあるか、これについても興味があります。話を始める手間の最長記録を有するのは、どういう小説でしょうか。

(※「話を始めるには手間がかかる2」に続きます。)

追記
後に留学生に聞いてみると、頼み事の内容にもよるが、自分たちの国でも特別な席を設けることはあるとのこと。まあ、これくらいは、どこでも当たり前のことなのかもしれません。「日本人」に話を限らないほうがよさそうです。ただ、この文章の続編のような事例は、さすがに留学生の目から見ても異様のようです。(2006.01.31)
posted by Yeemar at 16:03| Comment(0) | TrackBack(2) | コミュニケーション | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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話を始めるには手間がかかる2
Excerpt: 続編をこちらに書いています。
Weblog: きょうのことばメモ
Tracked: 2006-01-09 16:01

手間がかかる
Excerpt: 本日のキーワードは「手間がかかる」とし、どんな作業に手間取っている人たちがいるのかを、探し出してみようかと思います。
Weblog: たのしい検索 ゆかいな検索
Tracked: 2008-10-04 20:10