2008年03月18日

「誰・頃」をかなで書く私―常用漢字雑談―

前回、常用漢字表の改定に関して、「趣旨はまったく賛成」と書きました。社会生活で目にする漢字が増えている現在、漢字表を拡大するのは当然だと思います。ただし、「理解漢字の表」(読めるだけでよい漢字の表)、「書写漢字の表」(書けるようにする漢字の表)の2つに分けて、新追加漢字はすべて理解漢字とするのがよいと述べました。

理解漢字といっても、だれもが理解するだけで書かなければ、その漢字は消えてなくなってしまいます。ここで言う理解漢字とは、学校教育で書かせなくてよく(書きたい人は書いてもよい)、字体・字形を採点対象にしないということです。パソコンや携帯メールでは当然使ってよいということです。

たとえば、「誰」「頃」という字は、現在の常用漢字表には入っていませんが、社会での使用頻度としては上位に来ています(国立国語研究所の『現代雑誌200万字言語調査』など)。新常用漢字表では、おそらく追加候補になるでしょう。これは「理解漢字」とします。そうすれば、中学校の生徒は、これを読めなければいけないけれど、自分はパソコンで打てれば十分ということになります。実際には、このように高頻度で目に触れる文字は、自然に手でも書けるようになるでしょう。

新常用漢字表では、都道府県名もすべて入りそうな情勢です。これも理解漢字で十分です。書写漢字にしてしまうと、「茨城」の「茨」の「にすい」の上側は「ヽ」か「一」か、などという面倒くさい問題が出てきます。「ヽ」か「一」か、止めるかはねるか、などという問題は、ふつうは教育現場以外では出ない(どちらでもよい)ものです。でも、初等・中等教育の段階では、2つの正解は望ましくないので、問題化するのです。これらが理解漢字ならば、学校のテストで点画までは問われないため、問題がなくなります。

私は、理解漢字・書写漢字を分ける常用漢字表ならば、現状の文字生活を温かく容認するものになると考えます。社会の変化にそっと寄り添うものになり、社会を強引に漢字表に合わせる結果にはならないと信じます。

――以上は前回の補足で、以下は個人的な愚痴を書きます。

秘めた本音のところを言いますと、書写漢字であれ、理解漢字であれ、常用漢字表の字数が増減するのは、私にとっては複雑な思いがあります。現在の常用漢字表は「一般の社会生活」における「漢字使用の目安」を示すものです。目安というのは、100パーセント従わなくてもいいけれど、だいたい従ってください、ということと考えています。文章を書く人間として、常用漢字表をまったく知らないと思われるのは心外なので、私はこの表にかなりの程度従って文章を書いています。その基準が変わるということは、私の文字生活が多少ともぐらぐらすることになります。

たとえば、私は自分の書く文章で「誰」「頃」「揃」「頁」「狙」などの字を漢字で書かないようにしています。これらは、社会では高頻度で使われる字ですが、常用漢字表にはありません。常用漢字表に従おうとする以上、これらの字はなるべく使わないのがいさぎよい態度です。今、私のウェブサイトの字を検索してみると、「誰」「頃」は、引用文を除いては一切使っていませんでした。

それが、新常用漢字表では、「誰」「頃」……などの字もご自由にお使いください、ということになりそうです。そうすると、「私の今までの禁欲的な態度は何だったのか?」という、ばかを見たような気持ちになるのも事実です。規則が変わってからは、「だれ」「ころ」とかな書きにした私の文章は、「旧常用漢字表時代の文章」という印象を与える、古くさいものになります。常用漢字表に律儀に従ってきた結果がこれでは、納得できないではありませんか。

以上のようなことを感じる人は多いのでしょうか。どうも多いとは思われず(つまり、現実には常用漢字表を「目安」と意識して書いている人が多いとは思われず)、私の文章は苦笑を誘うような気もします。ただ、学校現場などでは、プリントの文章などの使用漢字に神経を使っておられるでしょうから、私の気持ちもお分かりいただけるのではないでしょうか。
ラベル:常用漢字表
posted by Yeemar at 14:32| Comment(2) | TrackBack(0) | 文字・表記一般 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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